【コラムvol.52】
勤労という亡霊。

「ハッテンボールを、投げる。」vol.52  執筆/伊藤英紀


『人生100年時代の到来』が、そろそろ日本でも社会通念として定着しつつあるようだ。

ライフシフトに関する欧米の書籍も翻訳されているし、日本の著述家も類似の論説を著し始めました。欧米のトレンドからすると、周回遅れらしいですが。

60歳で定年という常識は、いわば“強制退職”である。人々は、ある意味で暴力的なこの仕組みと社会情勢の矛盾に気づきはじめたようだ。

「60歳で定年ってなんだかおかしいし、それでは食っていけないよね。どうしたらいいんだろう」と。

変化する社会環境と、その変化に対応しきれていない自身のライフプランや働く価値観、変わらない社会の慣習に焦燥をおぼえる人も増えているようです。

「想定以上の長い老後がやってくる。もし100歳まで生きたら、老後が40年だよ。でも年金とかも不透明だし、我が家はそんな老後設計なんかできていない。パートナーものんきだ。ヤバイ!コワイ!」と。

リタイアのあと40年にわたり悠々自適な人など、ほんの一握りの資産家だけですから、この不安は個人的なものではなく日本全体の社会不安です。

日本の人口は今後30年かけて約22%減少し1億人を切ることが、平成29年版の高齢社会白書で明らかにされています。国自体が、いわば“過疎”にむかっているわけです。

59歳未満の人口と60歳以上の人口比率も、およそ6:4になりますから、年金なども後ろ倒しされ減額されることは目に見えています。

しかし、脊髄反射的にヤバイ!と叫んでいても、さらに不安感が増すばかり。かといって、フタをして思考停止すると、本当にヤバイことになってしまうかもしれません。

やれることは2つだと思います。1つめは、「自分の頭の中を変える。」2つめは、「社会が変わらなきゃならないことを理解し、受け入れ、賛同推進する。」それ以外にないと思います。

1つめですが、個人的には『若い人を支えられるおじいちゃん』をめざしています。一匹狼のじいさん、で生きていく自信は、僕にはありません。

若い人マーケットにおいて、市場価値を上げていく。若い人から隣にいて欲しいなと思われる高齢者をめざす。ハッテンボール(わが社)の若い社員たちと、そんな中高年をめざして能力と人間の幅を広げようよと、ときどき話をします。

中高齢者が増えていくということは、中高齢者の市場価値が相対的に下がっていくこと。こう言うとお先真っ暗なように感じてしまうが、今までが実勢価格以上に高かったのだ、適正相場になるだけだ、と頭の中を変えるしかない。

入社年次と年齢が考慮される年功序列型があったから、若い人よりよい給料を得ていただけだ、と切り換えるしかありません。そういうシステムだったのだと。

そしてこのシステムは 若い人も含め、社会のコンセンサスになっていた。「私も40代50代になれば、給料は上がっていくのだから、いいよねこれが」と。

しかし、じわじわと到来する40%以上が60歳以上という社会で、このシステムは立ち行かない。社会の高齢化は会社の高齢化ですから、年功序列は人件費を膨張させ会社を苦境に追い込みます。

給料の出どころという限りある原資の中で、配分のバランスを見直すしか手がありません。

だから、自分も頭の中を変えるしかない。働き始めて60歳まで右肩上がりで昇給し、退職金を得たらゆったりと老後生活、とイメージを頭の中から潔く消去しなければならないと思います。

40代~60代の給料を一律下げてしまうのは、若い人の将来不安を招くだけですから、中高年により給与格差が生まれ、同時に、若くても高給を得られるチャンスが増えるでしょう。

ざっくりと考えれば、100年人生の給与曲線は、これまでのような右肩あがりではなく、フラットな横ばいになるのではないか、ということです。

横ばいにがっかりしてしまう、ということは頭の中が変化していない、という証明になるのかもしれません。

横ばいが高止まりか、低止まりかは、個人の力量と運不運によると思いますが、大事なことは、60歳以上の給与曲線を、下降するにしてもできるだけ横ばいを維持することだと思います。

単純計算して、(月額平均25万円×10 年/60~70歳×夫婦2人)+(月額15万円×5年/70~75歳×夫婦2人)なら、およそ7800万円の老後資金に匹敵します。

100年人生は、太く短く、ではなく、細くても楽しく長く、がやはり理にかなっているようです

長く役立って長く報酬を得たいと思えば、60%のゾーンを助けられる高齢者、一緒にいて楽しい高齢者にならなければならないでしょう。

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