人間交換日記 48通目「それが正しいなら人生に挑戦状を叩きつけたい」大野

人間交換日記

「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。


48通目/大野からの返信
「それが正しいなら人生に挑戦状を叩きつけたい」

安田さんてどんな人ですか?(自分が思うに)

違和感がやはりあるのは、可能性があると言う文脈の中でこそ、なるべき者になると云うのが健全な考え方でしょ。そもそも何者にでもなれる可能性が誰にでもあることと、なるべき者になるは二律背反していませんから。
まして、安田さんの言う、私なりに近づいていく過程で、本来持っている能力をある決めつけやそこから派生させざるを得ない妥協によって眠らせたままでもいいじゃないか、それが人生だからというのが正しいのなら、僕は逆に人生に挑戦状を叩きつけたいです。
だって、ある人の自己肯定感の強弱とその人のパフォーマンスの高低は相関がないですか?

前回47通目/安田「妥協や決めつけも人生の一部」

大野さんへ
あらかじめ可能性が無い人はいない。ここに関しては水掛け論ですね。正直、神様でないと分かりませんし。大事なのはどちらを信じて生きるのか。大野さんは「何者にでもなれると信じた方がいい」と思ってる。私は「なるべき者になった方がいい」と思ってる。どちらを選ぶかは本人次第です。では、なるべき者に近づくことは妥協や決めつけにはならないか。これは、なるかもしれません。でもそれでいいのではないでしょうか。妥協や決めつけがあることも人生の一部なので。ただしそれは現状維持ではありません。妥協や決めつけがあっても人は少しずつ前進して生きていけるからです。弱さもまた人生に必要な要素だと私は思っています。

ー安田佳生より

 

前々回46通目/大野「役割の優劣の話をしているわけではない」

安田さんへ
役割の優劣の話をしているわけではない。可能性の話です。
安田さんが自身の人生観において、自分の可能性をどう把握していらっしゃったとしても、それと全ての人の可能性はイコールではない。大統領はある象徴としてのたとえですから、歌手でもプロ野球選手でも八百屋さんでも何でもいいのです。それが何であれ、望もうと望ままいと可能性はある。予め可能性が無い人はいない。
所で、安田さんの言う、果たすべき役割とか、なるべきものに近づいていくにはどうしたらいいですか。又、私なりに把握する事と言いますが、その私なりに近づいていく事や把握する事と妥協や決めつけ等の現状維持との区別はどのように知ることができるのですか?

ー大野より

 

これまでのやり取り

交換日記をする二人



火曜日
安田佳生(やすだ よしお)

1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。

●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/

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