人間交換日記 49通目「何をもって自己肯定なのか」安田

人間交換日記

「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。


49通目/安田からの返信
「何をもって自己肯定なのか」

本来持っている能力を眠らせたままにしないために。そのためにこそ、自分の役割を見つけるべきだと申し上げているのです。大野さんにとって自己肯定感とは何ですか。合衆国大統領にもなれる、マリリンモンローとも結婚できると信じ込むことでしょうか。自分の可能性を最大化すること。自分自身を肯定すること。それは盲目的に「何でもできる」「何者にでもなれる」と信じ込むことではない、と私は思います。自己肯定と自己否定はコインの表裏です。自己否定なき自己肯定は、自分から目を背ける行為であり、自分自身を騙す行為です。自己否定できる人こそが、本当の意味で自己肯定できる人なのではないでしょうか。

前回48通目/大野「それが正しいなら人生に挑戦状を叩きつけたい」

安田さんへ

安田さんてどんな人ですか?(自分が思うに)

違和感がやはりあるのは、可能性があると言う文脈の中でこそ、なるべき者になると云うのが健全な考え方でしょ。そもそも何者にでもなれる可能性が誰にでもあることと、なるべき者になるは二律背反していませんから。
まして、安田さんの言う、私なりに近づいていく過程で、本来持っている能力をある決めつけやそこから派生させざるを得ない妥協によって眠らせたままでもいいじゃないか、それが人生だからというのが正しいのなら、僕は逆に人生に挑戦状を叩きつけたいです。
だって、ある人の自己肯定感の強弱とその人のパフォーマンスの高低は相関がないですか?

ー大野より

 

前々回47通目/安田「妥協や決めつけも人生の一部」

大野さんへ
あらかじめ可能性が無い人はいない。ここに関しては水掛け論ですね。正直、神様でないと分かりませんし。大事なのはどちらを信じて生きるのか。大野さんは「何者にでもなれると信じた方がいい」と思ってる。私は「なるべき者になった方がいい」と思ってる。どちらを選ぶかは本人次第です。では、なるべき者に近づくことは妥協や決めつけにはならないか。これは、なるかもしれません。でもそれでいいのではないでしょうか。妥協や決めつけがあることも人生の一部なので。ただしそれは現状維持ではありません。妥協や決めつけがあっても人は少しずつ前進して生きていけるからです。弱さもまた人生に必要な要素だと私は思っています。

ー安田佳生より

 

これまでのやり取り

交換日記をする二人



火曜日
安田佳生(やすだ よしお)

1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。

●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto. com
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/

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