人間交換日記 156通目「完全なる存在の一部にはなりうる」大野

人間交換日記

「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。


156通目/大野からの返信
「完全なる存在の一部にはなりうる」

非常に興味深い解釈ですね。共同作業者の意味というか、文脈が全く異なっています。(笑)ここで僕が言う共同作業は安田さんのいうそれとは全く異なるものだとしたらそれは何だと思いますか?ヒントは畏敬の念です。

前回155通目/安田「誰のための完全?」

大野さんへ

もしも経済的に完全を目指すなら労働者→管理者→経営者→投資家へと進んでいくしかない。でも全員が投資家(完全なる金持ち)になったら社会は成り立たない。だから完全なる存在(儲かる会社)の一部になれってことでしょうか。「共同作業者として完全と一体になれる」って、ちょっと都合が良すぎますよ。誰もそんなものになりたくないし、気持ち悪いです。なんだかんだ言って、結局は組織の一部として洗脳しようとしているようにしか見えません。会社はこうあるべきだ。仕事はこうあるべきだ。あなたはこうあるべきだ。なぜならそれが完全な状態だから。こんなことを続けてるからみんなやる気をなくすんですよ。

ー安田佳生より

 

前々回154通目/大野「そう見えてしまう」

安田さんへ

安田さんの表現方法はとても魅力的です。ただ、完全が実際にあるのと人間が完全になれるか?はまた別の話ではないでしょうか。完全なる存在の一部にはなりうる。共同作業者として一体になれる。そういった何かを感じずにはいられない。その一連の可能性を畏敬の念と呼ぶのではないでしょうか。それは人間の眼で捉えるとき、刹那的なものかもしれない。それでも永遠の如くその刹那には間違いなく完全という名の可能性や息吹がある事を僕たちの魂は知悉している。懐かしさすら感じる。そして観る角度よっては、この前提を持たずに生きる事が、尊厳や摂理を蹂躙してしまうという愚行に人間を走らせてしまっている。僕にはそう見えてしまう。

ー大野より

 

これまでのやり取り

交換日記をする二人



火曜日
安田佳生(やすだ よしお)

1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。

●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/

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