日曜日には、ネーミングを掘る ♯129「亰・突き刺さった・ほっつき歩く」

今週は!

短いお話を3本書いてみる。

1.半年ぶりに京都を訪れた

馴染みの店に顔を出しての帰り、
京都駅のコンコースを歩いていると、
電飾看板が目に留まった。

「京みやげ」と書いてある。

土産を買うつもりはなかったので、
そのまま通り過ぎる。

ん?

なにかが引っ掛かって
戻ってもう一度看板を見る。

「亰みやげ」

見慣れた文字に線を一本加えるだけで、
人は立ち止まる。

2.東京都現代美術館を訪れた

木場公園の緑のなかを
歩くのは5年ぶりだろうか。

目当ての作品を一通り鑑賞し終わり、
喉が渇いたので
ソーダ水でも飲もうと思い、
美術館の二階のカフェに行った。

木製の立て看板があり、
一番上にメニューが書かれていた。

DESERT
デニッシュが突き刺さったミルクソフトクリーム
soft serve milk ice cream with danish

もちろんこのネーミングは、
デニッシュ&ミルクソフトクリームでも、
デニッシュ付きミルクソフトクリームでも、
デニッシュがのったミルクソフトクリームでも、
あるいは単に
ミルクソフトクリームでもよかったはずだ。

しかし、それらの名前だったら
私はブログに書かなかったであろう。

3.地元でいつもの本屋を訪れた

平積みにされた新作群の一角を見て、
1冊の本のタイトルに目が留まる。

『ワイルドサイドをほっつき歩け』

ブリティッシュロック好きなら
すぐにピンとくると思うが、
タイトルはルー・リードの代表作
「ワイルドサイドを歩け」が
下敷きになっている。

そこに4文字足しただけ。
が、なんだか心揺さぶられる自分がいた。
やられたなぁと思うと同時に、
なぜそう感じるかを考えた。

半世紀ほど遠くから、
若かりし頃の母親の声がする。

「康生、そこいらをいつまでも
ほっつき歩いていないで、早く帰ってきなさい」

なるほど、そういうことか。

私が心揺さぶられるのは、
記憶の内にありながら、
記憶の陰に隠れていた言葉を、
唐突に差し出されたときなのだ。

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