これからの採用が学べる小説『HR』:連載第16回(SCENE: 025〜026)【第3話】

HR  第3話『息子にラブレターを』執筆:ROU KODAMA

この小説について
広告業界のHR畑(求人事業)で勤務する若き営業マン村本。自分を「やり手」と信じて疑わない彼の葛藤と成長を描く連載小説です。突然言い渡される異動辞令、その行き先「HR特別室」で彼を迎えたのは、個性的過ぎるメンバーたちだった。彼はここで一体何に気付き、何を学ぶのか……。これまでの投稿はコチラをご覧ください。

 


 SCENE:025


 

 

どういうことだ。一体何の話をしているのか。

あの男はどう考えても、「信頼できそうな男」には見えなかった。それどころか、自己中心的で短絡的で、すぐに問題を起こしそうな男に見えた。

そもそも本当に信頼できる男なのだとしたら、なぜ社長は彼を辞めさせなければならないのか。

沈黙が降りた。わけがわからなかった。

「何があったんです?」

やがて室長が、優しく聞いた。悲しげな表情を浮かべていた社長はやがて、「まあ、話さんわけにはいかんわな」とどこか自嘲的な笑いを漏らし、記憶を探るように天井を見上げる。

「少し前……と言っても、もう3ヶ月前になりますか。あいつの母親が倒れたんですわ。あいつにとって唯一の肉親だ。でも、私らがそれを知ったのは、ほんの2週間前です」

「ほう……それは」

「黙ってたんですな。あいつは母親が倒れたことを知っていて、だけども私たちには言わなかったんです」

「それはまた……どうしてです」

室長の質問に、社長は天井を見上げたまま辛そうに顔を歪めた。だが、俺たちの視線に気付いたのか、すぐに無理な笑顔を作って見せる。だがそれも長くは続かず、社長はすぐに窓の外に視線を投げる。

「これは本人に聞いたわけじゃないから確かではないが……まあ、言えなかった、ということなんでしょうな」

「言えなかった」

「ええ……情けない話なんだが、3ヶ月前といえば、ちょうど納品した部品に規格ミスが見つかって、工場全体で急遽再生産をしてた時期なんですわ。猫の手も借りたいくらいの忙しさだった。あいつは現場の責任者だから、言えなかったんでしょう。母親の容態が、急を要するほどではなかった、ということもあった。だからあいつは、母親のことは自分の胸にしまって、現場の誰よりも必死になって仕事をしたんです」

「ははあ……そんなことが」

さっきの巨体の男が、病気の母のことを考えながらも、歯を食いしばって仕事をしている場面を俺は想像した。もちろん知るはずのないあの男の母の顔は、すぐに俺の母の顔に変わった。布団の中で苦しげに歪むその表情に、胃が嫌な感じで収縮する。

俺にはできるだろうか。親が倒れたとして、それを自分の内に留めたまま、普段通りに仕事ができるか?

「……でもそうすると、なぜ社長は今、お母様のことをご存知なんですか」

室長が聞いて、確かにと思う。途中で気が変わって、告白したということなのだろうか。

「2週間前、ウチで雇っているベトナム人が、こっそり教えてくれたんですわ。班長ーーあいつのことですーーが、ときどき現場を抜けて電話をしてるんだと。何度か事情を聞いたらしいんだが、気にするなと言って教えてくれない。そういう期間がしばらく続いていたんだが、そいつはどうしても気になって、電話をもって現場を離れるあいつの後をつけた。そしたら、工場の裏で電話をしているあいつが、一人で頭を抱えてたっていうんだよ。何かあったに違いない、心配だからこうして言いに来たって」

「なるほど、そういう訳だったんですね。それで社長は、彼には?」

「ええ、あいつを呼んで確かめましたよ。最初は頑なに何も言わなかったんだが、何かその表情を見てたら心配になってきてね、しつこく聞いたんです。そしたらね……まあ、あいつはあいつで黙ってるのが辛かったんだろうなあ。最後には、母親の具合が悪いんだということを教えてくれた。……聞けば、倒れたのはもう随分前なんだと言うじゃないですか。……あのときは、目の前が真っ暗になりましたな。自分が情けなくて情けなくて……とにかく一度実家に戻るように言いました。仕事はいいから母親に会ってこいと」

「なるほど」

「とにかくこっちのことは気にせず、親子水入らずでゆっくりしてこいと、そう言った。あいつの田舎は愛知県の片田舎でね、うまい地酒もある山奥です。3日とか4日とかじゃなく、ひと月くらいは休んだって構わないと思ってました。……ただね、現実問題、あいつが抜けた分は誰かが埋めにゃならんでしょうが。小さな工場だし、あいつは現場の要だからね。で、それは私がやりゃいいと。責任を感じていたんでしょうな。あいつが話をできなかったのは、私のせいだと思ってたから」

そう言った直後、社長は笑いだした。楽しくて笑っている、という感じではなかった。もっと何というか、自分を嘲るような笑い方。俺と室長は思わず顔を見合わせる。

「それがどうですか。張り切って働いたら、今度は私が倒れてしまいました。大したことないのに、皆が大騒ぎしてしまった。それが愛知にいるあいつの耳にも入りましてね……飛んで帰って来やがった……自分がいなけりゃ会社がダメになる、そんなことを言って」

笑い声はやがて小さくなり、驚いたことに、徐々に嗚咽に変わっていった。

「……私はね、消えたいと思うくらいに、自分が情けないですわ。あいつに、病身の母と一緒にいさせることすらできない……この苦しさが、わかりますか」

「……」

そして社長は、顔を上げた。真っ赤な目で俺たち二人を見て、覚悟のこもった口調で言った。

「私はね、あいつを開放してやりたいんですわ。そのために、新しい人間を見つけなきゃならん。あいつが安心して出ていけるような新人を」

 

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