【連載第29回】これからの採用が学べる小説『HR』:第4話(SCENE: 043)

「ブラック企業……」

今日のアポがなければ、笑って否定しただろう。そんなはずがない。世界を席巻しているあの<PO>の会社だ。働き方だって“今風”なのに違いない、と。だが、今の俺はあの「ジャングル」の奥に隠されたBAND JAPANの「本体」を知っている。そして、ヤクザのようなスーツを着た槙原社長と、その言葉一つ一つに過剰に反応する社員たちの姿を。

思わず黙った俺から視線を外し、高橋は続ける。

「今の世の中、ブラック企業と言えば、“残業が多い会社”くらいのイメージかもしれないけれど、問題は残業時間の長さなんかじゃないのよ。この問題の根幹には、本人たちも自覚しないうちに完了してしまう“洗脳“の怖さがある」

「洗脳? ちょっと、何いってんすか急に!」

話がいきなり大きくなって、俺は思わず声を荒げた。その声に反応したのか、ソファで爆睡していた室長が「ううん……」と呻いて身をよじる。慌ててボリュームを落とし、俺は続けた。

「すみません。……でも、洗脳って?」

高橋は薄いピンク色の口紅を引き、自分の唇を使ってそれを馴染ませる。その様子が妙に生々しくて、俺は目を逸らす。

「六本木であんたと別れてから、私もちょっとした調べ物をしてたのよ」

高橋はパタンとコンパクトを閉じ、こちらを横目で見て言う。

「調べ物?」

「そ。もっとも、あんたみたいにネットでチャチャッとで終わる話じゃない。ある会社の調査員に会いに行ってきたわ」

「調査員って……誰なんですか」

「いわゆる調査系マーケティング会社の人。クライアントから依頼を受けて、対象企業の情報を集めてくるのよ。場合によっては、本当に入社する場合もある」

「入社って……スパイじゃないですか」

「そうよ」

高橋はあっけらかんと肯定する。

「でも、誰でもネットにアクセスできて、SNSのアカウントを持ってる時代なんだから、社員全員がスパイだとも言える」

「そんなの……詭弁ですよ。金もらって情報を盗むのは犯罪だ。仕事の愚痴をTweetするのとは違う」

そう言うと高橋はわずかに驚いた表情をして俺を見ると、なぜか嬉しそうに笑った。

「意外に固いのね。もうちょっとスレてると思ってたけど」

「……からかわないでください。で、その調査員に何を聞いてきたんです」

「情報を盗むのは犯罪なんでしょ? それを聞いたらあんたも同罪だけど」

思わず口ごもると、いよいよ高橋は楽しそうに笑った。

「ふふ、冗談よ。……今回私が彼に聞いたのは、BAND JAPANの導入研修について」

「導入研修?」

「ええ。入社して最初に受けさせられる研修ね」

「どうしてそんなことを」

「ま、今回の案件を引き継ぐにあたり、軽く事前調査してたことは否定しない。そもそも高木生命の“体質”についてはこれまでにも噂は聞いてたしね」

「高木生命? BAND JAPANじゃなくてですか」

「BAND JAPANってのは高木生命の“ガワ”に過ぎない。いいかげん学習しなさいよ。入社するのがBAND JAPANだろうが、受けさせられる研修は高木生命方式で作られてる」

そうだった。あの華やかなBAND JAPANの本体は、高木生命なのだ。

「……それで、何なんですか、その導入研修って」

俺が言うと高橋はもったいつけるように微笑み、高そうなバッグの中から電子タバコの機械を取り出して、吸い始める。すぐに普通のタバコとは違う、バラとかスパイスを感じさせるにおいが漂い始める。

「その調査員に話を聞いたのは大正解だった。何しろ彼、その研修を実際に見たっていうのよね」

「え? じゃあその人、高木生命の社員だったんですか」

さすがに驚いて言うと、高橋は首を振った。

「いいえ。高木生命が毎年4月の前半にに数日間貸し切りにする、山奥にある古いホテルの短期バイトに申し込んだのよ。それで、大ホールを使って何時間も行われるその研修の様子を、給仕スタッフの立場で見た」

「へえ……なんか映画みたいすね」

俺は素直に感心してしまった。だが高橋は怖い顔をして「バカね」と俺を睨む。

「いい? 映画なら2時間で終わりだけど、ここでの経験は下手したら一生引きずる。現実だから怖いのよ」

高橋の言い方に、俺の頭は恐ろしい風景が想像された。プロレスラーみたいな男にボコボコにされるとか、両手足を縛られた状態でナイフをつきつけられるとか……研修というよりそれじゃ拷問だ。

「一生引きずるって……一体どんなことをさせられるんですか」

そういう俺に、高橋は答えた。

「選択肢を、奪うのよ」

SCENE:044につづく)

 


 

著者情報

児玉 達郎|Tatsuro Kodama

ROU KODAMAこと児玉達郎。愛知県出身。2004年、リクルート系の広告代理店に入社し、主に求人広告の制作マンとしてキャリアをスタート。デザイナーはデザイン専門、ライターはライティング専門、という「分業制」が当たり前の広告業界の中、取材・撮影・企画・デザイン・ライティングまですべて一人で行うという特殊な環境で10数年勤務。求人広告をメインに、Webサイト、パンフレット、名刺、ロゴデザインなど幅広いクリエイティブを担当する。2017年フリーランス『Rou’s』としての活動を開始(サイト)。企業サイトデザイン、採用コンサルティング、飲食店メニューデザイン、Webエントリ執筆などに節操なく首を突っ込み、「パンチのきいた新人」(安田佳生さん談)としてBFIにも参画。以降は事業ネーミングやブランディング、オウンドメディア構築などにも積極的に関わるように。酒好き、音楽好き、極真空手茶帯。サイケデリックトランスDJ KOTONOHA、インディーズ小説家 児玉郎/ROU KODAMAとしても活動中(2016年、『輪廻の月』で横溝正史ミステリ大賞最終審査ノミネート)。

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