【連載第31回】これからの採用が学べる小説『HR』:第4話(SCENE: 047)

HR  第4話『正しいこと、の連鎖執筆:ROU KODAMA

この小説について
広告業界のHR畑(求人事業)で勤務する若き営業マン村本。自分を「やり手」と信じて疑わない彼の葛藤と成長を描く連載小説です。突然言い渡される異動辞令、その行き先「HR特別室」で彼を迎えたのは、個性的過ぎるメンバーたちだった。彼はここで一体何に気付き、何を学ぶのか……。これまでの投稿はコチラをご覧ください。

これまでの連載

 


 SCENE:047


 

 

腰よりも高いスツール、正方形の小さなテーブル。その中央には今流行りのカフェ風のデザインで作られたメニューが置かれ、ナイフやフォークの入った籠で重しがしてある。

「いらっしゃいませ」

黒いTシャツに黒いサロンの店員がやってきて言う。いかにもこういう店で働いていそうな、痩せた長身の優男だ。

「当店2時間制をとらせていただいていますが、よろしいでしょうか」

そう聞かれ、俺は思わず向かい側に座る正木の顔を伺った。俺の視線を受け止めた正木は、なんで俺に聞くんだというような顔をして、俯いた。その様子を見て、俺も思わず視線を落とす。

「……あの?」

店員に促されて顔を上げる。

「あ、ああ、大丈夫です」

「お飲み物、いかがしましょうか」

「……じゃあ生2つで。あ、ビールでいいですか?」

俺が言うと、正木は「ああ、はい」と小さく頷く。

店員が手元のiPadで入力を終え、離れていく。すると、また気まずさが戻ってきた。

この店を見つけたのは偶然だ。咄嗟に周囲を探して、目に入った一番近い店に正木を誘った。六本木と溜池山王駅の間、あまり飲食店の多くない界隈にぽつんとある地下のワインバル。それなりに広い店だが、人気があるのだろう、席はほとんど埋まっている。

俺の突然の誘いに、正木は戸惑った表情を浮かべつつも、「わかりました」と言った。俺が咄嗟に付け加えた、「もう少し取材させてもらいたくて」という言葉に納得したのかもしれない。

「……村本さん、おいくつなんですか」

やがて、沈黙を破って正木が言った。

「あ……ええと……26の年です。正木さんは?」

「今年28です」

ということは、2つ上か。

そこに店員が生ビールのジョッキを2つ運んできて、それを狭いテーブルに置きながら、「お食事、どうされますか?」と聞く。チラリと正木を覗うと、「任せます」と言うので、チーズの盛り合わせやアヒージョなどつまみを適当に頼む。

「じゃ……お疲れ様です」

店員が去った後、おずおずとグラスを傾けると、正木も困ったような顔をして「あ、どうも」とそれに倣った。騒がしい声の中でグラスの触れ合う音が一瞬響き、すぐに飲み込まれる。沈黙の気まずさを避けるように、俺達はそれぞれゆっくりとビールを飲んだ。

一体俺は、何をしているのか。

顔の前に迫る黄金色の液体に視線を落としながら考える。だが、その答えがどうであれ、現実にはもう、正木は俺の前に座っている。

こうなることを全く予想していなかったといえば嘘になる。俺は多分、何かを確かめたくて正木をつけた。いや、もっとはっきり言えば、正木と話をするために総武線ではなく銀座線に乗ったのだ。

「あの、正木さん」

ジョッキをテーブルに置き、言った。

「……はい」

そして俺はあらためて、正木の表情が昼間とはまるで違うことに気付いた。

正木は笑顔ではなかった。どこかぼんやりとした、抜け殻のような表情。

……いやそれは、高橋の話からの連想なのかもしれない。一日たっぷり働いた営業マンなら、誰だってこんな顔になるものだ。正木はあのBAND JAPANの営業マンで、社長からも期待されている人間だ。それに応えるためにも、一生懸命働いているのだろう。

仕事モードの昼間と、そこから解放された今で、表情が違うのは当たり前だ。

……だが、そう都合のいいロジックを紡ぎだす俺の理性を、何かが引き止める。

何か。

何かとは、何だ。

<採用ってのは、人間の話だろ?>

<求人広告を売ることが自分の仕事なんて、私は考えたことなんてない>

頭の中に、ふっと記憶が蘇る。

俺はツバを飲み込んだ。そして、言った。

「取材したいというのは本当です。でも私は、仕事の内容や一日の流れじゃなくて、あなた自身の本当の気持ちを聞きたいと思っています」

「……」

俺の言葉は聞こえていたはずだが、正木の表情は変わらなかった。まるで俺がそこに座っていないように、遠くを見るような目でぼんやりとこちらを見ている。

再び沈黙が降りた。

これまで以上に気まずい沈黙だった。客の笑い声が響く店の一角、そこだけ照明が落とされたような気分だ。

やがて、胸のあたりがジワジワと黒ずんでいくのがわかった。

そりゃそうだ。立場が逆なら、俺も同じ顔をしただろう。いや、黙ってここまでつきあってくれただけ正木は人がいい。俺なら、一度しか顔を合わせていない求人業者が後をつけてきていたとわかった時点で怒るだろう。下手をすれば、警察に突き出されたっておかしくない状況だ。

そうだ。当たり前の反応だ。一体俺は何をやってるんだ。

保科や室長みたいな頭のおかしい人間のマネをして何になる。だいたい担当営業の高橋だって、この案件をどう扱うかわかったものじゃない。

「私は“仕事”をするときにしかお金は受け取らない」高橋はそう言っていた。あれはもしかしたら、この案件は受けない、ということなのかもしれない。

自嘲的な笑いが漏れた。

「……なんて、すみません。変なこと言いましたね。忘れてください」

さっさと一杯飲んでお開きにしよう、そう思いながらジョッキを持ち上げたとき、その黄金色の液体の向こうで、正木の顔がグニャリと歪んだのが見えた。

 

感想・著者への質問はこちらから