【連載第36回】これからの採用が学べる小説『HR』:第4話(SCENE: 053)

HR  第4話『正しいこと、の連鎖執筆:ROU KODAMA

この小説について
広告業界のHR畑(求人事業)で勤務する若き営業マン村本。自分を「やり手」と信じて疑わない彼の葛藤と成長を描く連載小説です。突然言い渡される異動辞令、その行き先「HR特別室」で彼を迎えたのは、個性的過ぎるメンバーたちだった。彼はここで一体何に気付き、何を学ぶのか……。これまでの投稿はコチラをご覧ください。

これまでの連載

 


 SCENE:053


 

 

「……何の話だ」

そう言って口元を歪めた槙原社長だったが、動揺は明らかだった。真剣だった表情が、どこかバツの悪そうな……いや、というより、まるで吐き気を覚えているような苦しげな様子に変わっていく。高橋は「お兄さん」と言った。お兄さん? それはつまり、槙原社長の兄のことを言っているのだろうか。……だが、もちろん俺はそんな人のことは知らない。

「あの……お兄さんって……」

思わず言った。ソファで槙原社長と対峙している高橋が、その後ろで突っ立ったままの俺の方をチラリと振り返り、言った。

「もともと高木生命は、槙原社長のお兄さんの就職先だったのよ」

「え……」

高橋はそれだけ言うと、さっきまでの饒舌が嘘のように俯いて黙り込む槙原社長の方に視線を戻す。

「お兄さんは社長の4歳年上で、つまり社長が大学生に上がったタイミングで就職した。新卒で入社したのが高木生命。当時の高木生命は、保険業界の中でも勢いのある会社だった。就職先としても人気があって、その中でお兄さんは、高い倍率の入社試験をクリアして希望通りの就職を実現した……そうですよね?」

高橋の問いかけに、槙原社長は視線だけを上げ、呻くように言った。

「……何の話だ、と聞いている。仕事に関係のない話をするな」

「ええ、もちろん。そのつもりで話してますわ」

高橋は事もなげに言い、説明を再開する。

「……一方、社長は実家のある中部から東京都内の大学に進学。お兄さんも就職のタイミングで実家を出ていたし、あなたは部活ーー高木生命にも大勢OBがいらっしゃる運動部での活動に忙しく、年末年始くらいしか顔を合わせることがなくなってしまった。そして3年目、社長の就職活動がそろそろ始まるというタイミングで、あなたはお兄さんに相談することにした。何しろ、お兄さんは天下の高木生命の内定を得た“勝ち組”です。経験者からのアドバイスほど為になるものはない。そしてあなたは久々にお兄さんに連絡をとった。そしてそこで、予想だにしていなかった現実を知った」

高橋の意味深な言葉に、槙原社長がピクリと肩を震わせた。

「あなたが連絡した一ヶ月ほど前、お兄さんは一人暮らしの家を引き払って既にご実家に帰られていた。心も体もズタボロになって……」

「え……」

思わず声が漏れる俺をよそに、高橋は続ける。

「聞けば、高木生命での連日の激務、そして上からの強いプレッシャーのせいで、精神疾患を含むいくつかの病気に罹ってしまったと。お兄さんは余儀なく退職し、ほとんど外出もできないような状態になってしまった。……今で言えば、いわゆる引き篭もり状態ね」

「……」

ちょっと待て、と思う。どうして高橋はそんなことを知っているのか。社長が反論しないところを見ると、事実なのだろう。そもそも内容自体がショッキングだ。社長の兄が高木生命の出身者で、それも体調不良が理由の早期退職者。それではなぜ目の前の社長は今、このポジションに座っているというのか。自分の兄が受けた“仕打ち”を考えるなら、高木生命に怒りを感じこそすれ、入社を考えるなどありえないではないか。

「あなたは確かに、怒りを感じた。大切な兄をこんな風にした高木生命を許せないと思った。……でもその一方で、こうも感じていた」

「……」

「兄が壊れてしまったのは、兄が“弱かった”からではないかーー」

しん、と冷たい沈黙が社長室に降りた。

感想・著者への質問はこちらから