泉一也の『日本人の取扱説明書』第4回「共感か行動か」

 

英語は動詞がコミュニケーションの軸にあるので、主語をはっきりさせる必要ある。動詞(=行動)の主体がわからないとコニュニケーションが成り立たないからだ。日本語で書いたここまでの文章は、主語を抜かしまくっているが、あまり違和感はないはずだ。もし英訳するなら、文脈から主語を読み取ってつける必要がある。私のように邪魔くさがりの日本人は英語が嫌いなはずである。

コミュニケーションのベースが「共感」か「行動」か、この違いは大きい。共感をベースにする強みは、争いが少なくなり人と人の和、つまり助け合いと協力関係が生まれやすい。弱みは、場の空気に飲まれやすく、良かれと思って気遣うと逆の結果を生んだりする。最近流行りの忖度だ。気遣いすぎて気苦労になり心が疲れる人も多い。主語が曖昧なので、責任の所在がわからなくなり、無責任の文化にもなりやすい。

一方、行動を主体とする強みは、個を主張する力が高まる。責任の所在もはっきりする。つまり個人の自立が促される。個人の社会的自立をなしとげた市民革命は西洋から起こり、民主化の波を世界に生み出した。弱みは、個人主義となり権利の奪い合いからくる争いが起きやすい。帝国主義で世界中を植民地化した西洋諸国を見ればわかるだろう。また法廷での争いが多く、訴訟社会になりやすい。

明治になって一気に西洋化させた日本は「行動」の文化にしようと、無理をした。世界は民主化していたし、経済戦争(領土と労働力の奪い合い)の中で西洋化は生き残るために必須だった。共感と行動の和洋折衷ができないまま、共感の文化の良さだけが失われていき、空気に飲まれ忖度する弱みが目立ってきた。

某有名企業では英語が社内公用語になっているように、グローバル化の経済戦争の真っ只中にいる会社経営は「行動」が主体になりやすい。共感の文化の中に行動が主体の組織。そういう意味では、会社は日本社会から浮いている。朝の出勤中の人の波の中にいると、厳しく暗い顔か何も感じないようにシャットアウトしている表情が目立つ。そして学生から会社人になった時、そのギャップは計り知れない。

日本社会では、会社組織も「共感」を軸にすれば活性化する。社内の同僚と、そして他部署の人と、違う役職の人と、そして顧客に学生に。共感を軸にすればいい。行動の文化を軸に個人の「自立と責任」を重んじるのか、共感の文化を軸に助け合いと協力の「和の空気」を重んじるのか。共感を軸にするのなら、この問いを社内に投げかけて共感のコミュニケーションからスタートすればいい。のですが、きっとすぐ行動に移すのは、むずかしいですよね(共感)。

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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