泉一也の『日本人の取扱説明書』第44回「大衆文化の国」

 

日本は大衆文化の国なので、日常に使う茶碗や箸、鍋なども芸術作品となった。つまり、それらを作る職人は芸術家でもあったのだ。その芸術性と繊細な技術があったことで、文明開化をした時、西洋の建物、乗物、機械をあっという間に真似て作ることができた。しかし、その後工業化の波が押し寄せ、標準化と機能化の中、職人たちは時間で労働を売る労働者になり下がり、芸術家としての道が消えていった。ちなみに農民も百姓といわれ、百の職の中に生きる職人でもあった。

職人が労働者になった工業化に加えてさらに悪いことに民主主義という多数決制度が入った。大衆文化がここで大衆政治へと変わっていく。ポピュリズム、衆愚政治である。これは群衆心理を利用したものだが、人は大勢が集まると普段抑えていたエゴ(自利)や不満・怒りを憚らず発散しはじめる。ちなみにデモが暴動に繋がりやすいのは群衆心理である。その発散の場を与えてくれるリーダーに人氣が集まり、多数決によってそのリーダーが実権を握り、大衆から集めた税金の使い道を決めるのだ。そして大衆のエゴと怒りが起点となった社会ができあがる。モンスターなんとかが増産され、ネットで炎上が起こるのはポピュリズムならではなのだ。

ポピュリズムは、大衆が目先の損得に囚われ、思考停止状態になると実現しやすくなる。CM誘導のTVを見、最大公約数的な意見の新聞を読み、日々起こるニュースに一喜一憂し、流行りの人気店に長蛇の列に並び、たいして知らない人のランチをSNSで見て「いいね!」とポチっていれば、ポピュリズムはたやすく完成する。スマホはその最適デバイスである。そして悲しいことにポピュリズムから脱出させるはずの教育すら、目先の損得が得られるテーマで、あまり頭を使わない猿でもわかるノウハウものが流行る。

「宵越しの金は持たねぇぜ」といいながら、人様に喜んでもらうため自分の腕を磨くことに、直感と思考を深めることに時間を惜しまないような氣骨溢れる職人が増えてくると、ポピュリズム側は困る。そんな人は「偏屈な人」としか映らない。そんな偏屈人を育成する職人となりたいものだ。

 

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

著者ページへ

 

感想・著者への質問はこちらから