泉一也の『日本人の取扱説明書』第48回「我慢の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第48回「我慢の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 

我慢が美徳。いつからそうなったのだろうか。我慢とは仏教用語であるが、慢心や自惚れといった美徳とは逆の意味であった。仏教で我慢とは自分を縛る「執着」なのだ。

我慢がどこにたくさんあるかというと学校である。学校では45分座っておかないといけない。歩き回ってはいけない。周りと同じようにきちんと座って、先生の指示を守って、鉛筆を持ち問題をとかないといけない。MUSTの世界を我慢する。そのトレーニングを経て、社会に出てきた彼らは従順で我慢強いが、生産性が低い職場にある「縛り」を解くことはできない。

MUST病になってしまった彼らは、とにかく指示が欲しい。指示を我慢してこなすことに快感を覚えてしまった。その快感は心と体を蝕み、やがて「残念ないきもの」になってしまう。その残念ないきものは子供達に同じ我慢を強要する。「我慢すれば、私のように快感になるからね」と。世代間連鎖だ。

我慢をしなかった人たちは、美徳レールから外れ悪徳となったが、「縛り」を解く力を秘めている。心理学ではそういう存在を「トリックスター」という。神話や物語の中で、秩序やルールを破り物語を新しいステージに展開していく存在のことをいう。我慢病にかかった人にはトリックスターの価値は見えない。逆に「デストロイヤー」に見えるから厄介者や邪魔者扱いをすることになる。そして、生産性の低い世界にとどまり、物語は停滞することになる。

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