泉一也の『日本人の取扱説明書』第59回「感覚の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第59回「感覚の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 

「まあ、そんな感じで」が通用する。自分の感覚が相手に伝わるというのはコミュニケーションでいうとハイレベルである。文化的に成熟した共同体ではテレパシーのように感覚を通じ合わせている。「あ」といえば「うん」なのである。

それを、言葉足らずだといって「結論から話せ」「論理的に話せ」などといったレベルの低いコミュニケーションがはびこる。ロジカル・プレゼンテーションという言葉を感じてほしい。そこに文化はない。人工的でロボットのような無機質な世界である。

何万匹のイワシの大群が、一つの生命体のように美しく動く。リーダーはおらず、ロジカルコミュニケーションもない。にもかかわらず、無駄なく整然と大海原を迷うことなく堂々と泳ぐ。もし人間70億人がイワシのような高いレベルのコミュニケーションができれば、すごい。お互いに争うことも奪い合うこともなく、一体・整然となって美しく地球に生きる。

日本人が巧みに使っている漢字。漢字とは「感じ」文字である。山を感じて「山」という文字を書き、川を感じて「川」という文字を書く。山を「やま」「さん」「ざん」といった訓読みと音読みで日本語に上手に合わせ、「山を張る」「一山当てる」「山を越す」といった感覚造語を作り出す。これらの造語はロジカルに説明をしなくても、イメージで伝わる優れた表現である。

日本は本来感覚の国である。その感覚を磨くことを忘れ、ロジカルに話すことを中心にしているのだが、その行く末はどこにいくのかわかるだろう。それは文化的に繋がりがうすく、全てを言葉で説明しないと分かり合えないなんとも邪魔臭い世界である。争いがあれば全て法律という言葉のルールにのっとり、その解釈を言葉ですべてをあらわにし、そこに多大なお金と労力をかけなければならない。「あうん」のテレパシーの世界では全く無駄な労力とお金である。

言葉はもともと「分ける」ために生まれた。自と他を分ける。物と物との種を分ける。多い少ない、大きい小さいといった比較できるように分ける。その「分ける」ための道具を「一つにする」言葉として使えるのが日本語である。イメージを共有する、感覚を共有する。そのための言葉なのだ。ジョンレノンがImagineで歌ったように。

「分ける」ために言葉を使えば、分断と格差が待っている。分断と格差のある生物種はいない。人間以外の生物種は分ける道具=言葉を使わないからである。分断と格差の先には「滅び」が待っている。ロジカルは科学技術に始まる文明的発展を生み出したが、滅びる力を得るために発展をしているのではないはずだ。

と、まあこんな感じで小難しくダラダラ書いたが、なんとなく伝わったらそれでいいのだ。

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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