泉一也の『日本人の取扱説明書』第63回「燗(かん)の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第63回「燗(かん)の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 

熱い酒、あったかい酒、ぬるい酒。熱燗にぬる燗。「お酒をあっためて飲む」という文化。日本独特である。

神戸は三宮にある行きつけの小料理屋「ちょこ」では、燗酒が入った徳利に温度計が挿されて出てくる。徳利の横にはお湯の入った器がお風呂のごとく置かれてある。おかみさんに適温を聴きながら、時折冷めた徳利をお風呂に浸からせ、最高の温度で日本酒が飲めるのだ。その温度計の名前は「おかんメーター」という。

冬の燗は体の芯をあっためてくれ、夏の燗は暑さで疲れた体を癒してくれる。燗は日本人がお風呂で感じるものと同じである。この燗の文化はどこからきて、どのように我々の精神性に影響を与えているのだろうか。

その前に、日本では施工が簡易ということでユニットバスが一氣に普及した。歴史を辿ると、ユニットバスは日本の発明である。1964年の東京オリンピックを控え、急ピッチでホテルを作らねばならないという厳しい条件から生まれたのだ。そして、今ではホテルで普通に見られる「3点ユニットバス」といった洗面台とトイレが一体になり、一人暮らしの住居に急速に普及した。3点ユニットバスは銭湯通いだった人たちを救った。銭湯は急激になくなったが・・

ちなみに米国ではユニットバスは普及していない。なぜなら施工が簡単すぎて、職人たちの仕事がなくなるため、労働組合が普及を阻止している。米国で標準化したバスルームを見ないのはそのためである。職人の技と創造力を発揮させる場があるのだ。つまり米国ではバスルームが文化として育つ土壌がある。

燗の話に戻そう。ユニットバスの登場によって家庭の風呂文化が急速に失われたように、燗の文化も衰えた。冷たい酒が中心である。西洋社会では冷たいビールをがぶ飲みし、強い酒はロックで飲む。日常が「陽」である西洋社会では、お酒は「陰(冷)」でバランスがとれる。日常が「陰」である日本では、お酒は「陽(温)」でバランスがとれる。日本人が夜にあったかい湯船にゆったり浸かるのは、日常の陰を陽転させているのだ。

ところで3点ユニットバスに違和感を感じないだろうか。陽転する風呂場に「陰」のトイレと洗面台があるのは納得がいかない。浄化の場の風呂のすぐ隣に、歯を磨き、用を足す場があるのだ。燗酒の入った徳利の横に痰壷と鼻紙用のゴミ箱が置かれているようなものである。

日本人にとってお風呂は、熱さで体液の循環を促し、水圧でマッサージをするといった体を癒すばかりでなく、瞑想とマインドフルネスの場である。重力から解放され、胎児のようにあったかい羊水の中にいる感覚の時、内面に意識が向き始める。外の世界と内面の世界の齟齬をお風呂に浸かりながら振り返り、その重なりを探し始めるのだ。

これはリラックスし心が解放された時にしかできない。なぜなら日中は世間の常識、世間の目で自分を見ているため、緊張しながら外に意識を向けているからである。日本は「お陰様文化」「他力文化」であるため、周りに生かされているという美意識がある分、自己の内面に向く時間が必要なのである。西洋は「自力社会」であるため、自分の意見、自分の権利、自分の個性を発揮することが主であるから、バスルームで内面に向く必要はないのである。横で用を足す人がいても、平氣でお風呂に入れるのだ。

3点ユニットバスの普及によって銭湯がなくなったばかりでなく、外と内の世界の齟齬を解消し、心を癒す場をも失わせた。おそらく、心の病の増加に関係しているだろう。などと、「ちょこ」から帰って、一人湯船に浸かりながら、どうしたら「燗酒」をもっと呑む口実ができるのだろうかと瞑想した結果、このコラムが生まれたのだ。

 

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

著者ページへ

 

感想・著者への質問はこちらから