泉一也の『日本人の取扱説明書』第78回「福の国」

さらに、最近はやりの幸せ研究への違和感がわかる。それは自分が主体だからだ。日本人であるなら福。しかし福を研究する学者はいない。福は研究するものではないからである。研究すればするほど福から遠ざかっていく。

「幸せをもたらしますよ」という言葉には魔力がある。その言葉に乗せられてしまう、それが人間。幸せ産業に幸せ学問に引き寄せられる。そこに残るのは幸せを欲する貧しさである。だから日本では福の存在を大切にしたのだ。

福とは、福神漬けのようにカレーの横に添えてあるような存在。お多福ソースのようにお好み焼きや焼きそばを引き立てる存在。それが福の本質である。

福の国だったのが、幸せの国にならんとしているが、そこに残るのは貧しさである。「貧乏神さまさま(地湧社)」という隠れた名著がそれを教えてくれる。貧乏神が取り憑いたのに神棚で貧乏神を拝む男の話だが、この物語を読めば福とは何かがわかるだろう。

福が名前につく人、福が社名に入っている会社は、今こそ福を盛り上げて欲しい。福壽堂さんが「ふくふくふ」というお菓子を新しく開発したように。

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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