泉一也の『日本人の取扱説明書』第101回「学問の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第101回「学問の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

1万円札でおなじみの福沢諭吉さん(1835-1901)。

彼の代表的著書「学問のすすめ」(明治5年初版)は、340万部売れたベストセラーである。当時の人口が3300万人ぐらいなので、10人に1人が読んだことになる。知人に貸すこともあっただろう。古本も流通しただろう。そうすると、10人に1人どころではない。もっと多くの日本人が読んだはずである。

今の人口からいうと1200万部以上売れたことになるが、何故にそんなに売れ、読まれたのか。

一つは、時代背景にある。徳川幕府という封建制が終わり、民主主義の世に変わらんとする中で、人々は生き方に迷っていた。生まれた地、生まれた家、身分に縛られていたのが、制度上は解放され、いきなり自由の身になり困っていた。突然レールがなくなって立ち往生しているトレインのごとくである。

そこで人々に生きる指針を与えたのが「学問のすすめ」だった。学問をすれば我が人生に自らレールを敷くことができるというのだ。ここから学問ブームが起こり、やがて学歴社会につながる。

学問のすすめが流行ったもう一つの理由は、孔子の言葉である。

「十五にして學に志す。三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳に従う、七十にして心の欲する所に従えども矩をこえず。」

江戸時代の寺子屋では、こうした孔子をはじめとした中国の賢人たち、いわゆる諸子百家の言葉と格言を素読(ソドク)といって暗唱していた。

「學に志す」という言葉が日本人の脳に焼き付いており、今こそ學に志す時がきたぜ!と「学問のすすめ」で目覚めたのだ。そうして学問(諭吉さんの言葉で実学)で身を立てるという風潮が生まれ、日本人は一気に世界レベルの「学」に追いつくことになる。

さらに世界中を植民地としていた欧米先進諸国は、日本人の学問への情熱と学識の高さを知り、日本を後進的な野蛮国ではなく、文化水準の高い国として一目置くようになった。そして軍事力・経済力も相まって世界五大国として認めることになった。

日本はその成功体験が仇となり「学歴社会」というレールができあがった。自らレールを敷くという本来の学問は消え、進級のため、受験のため、資格のため、就職のためという学問になってしまう。先にゴールとレールが提示され、いかにゴールに効率よく行き着くかという学問。学問でなくお勉強という方がいいだろう。

福沢諭吉さんはきっと天から言いたいだろう。「学問のすすめ」の役割は終わったよ、お勉強をやめて次のステージへいきなさいと。

諭吉さんは自由と平等を語ったが、その前提となるのが不自由と博識である。不自由の中にこそ自由があり、博識であるからこそ平等がわかり実現する。

現在、社会は出勤停止に自宅待機と不自由が続いている。この不自由の中でこそ本当の自由が隠れていて、それに氣づくための學問のチャンスが今ここにある。自宅にいても世界の知識に一瞬にしてつながることができ、博識になれるのだ。

さあお勉強はもう卒業しよう。

1万円を卒業する諭吉さんは、渋沢栄一さんにバトンタッチすることになったが、栄一さんは論語と算盤で「徳ある実業家」を語られた。ご本人も何百社も起業し経営された叩き上げの実業家である。

アフターコロナ(AC)は、新一万円札とともに「お勉強から実業へ」がテーマになるだろう。

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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