泉一也の『日本人の取扱説明書』第105回「畏まる国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第105回「畏まる国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

<問題>
「畏まる」に読み仮名をふりなさい。(なんで命令口調・・)

<解答>
「かしこ(まる)」

<さらに問題>
では、畏まるを英語に変換しなさい。(また命令・・)

こんな時はグーグル先生、お頼み申します。
「be afraid」
えっ、グーグル先生間違えておられます。Be afraidには「慎んで」のニュアンスがございません。

畏まるには「恐れる」に「慎む」という概念が入っている。

「このお方をどなたと心得る。恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀公であるぞ。ものども頭が高い!」というセリフを聞いたことがあるだろう。ここで出てくる恐れ多いが「畏まる」に近い。

恐れ×慎む=畏まるはどこから来たのか。神主さんが唱える祝詞(ノリト)では「かしこみ、かしこみ」と呪文のように繰り返し使われるように、恐らくは神を敬うところから来たのだろう。

日本では大自然が神であり、その大自然は素晴らしき豊かさと強烈な厳しさを与える。その存在に「畏まる」。畏怖という言葉があるように、敬うを越えた存在をそこに感じている。

畏まるという高度なリスペクトの文化が日本にあるのだが、現代はその本質が忘れられ、表面的なものだけが残ってしまった。それは尊敬語と謙譲語に顕著にみられるが、本来は豊かさと厳しさを与える大自然のような存在を敬うための言葉であったのが、形式的な言葉になり果てている。

「畏まる」を相手への敬意、というより保身的に使っていないだろうか。自分より立場の強い人に対して、相手をあげて自分を落とす表現を使うが、それが「媚びへつらい」となり「敬意」の美しさを吹っ飛ばしてしまう。敬意を表すというのは、相手の素晴らしさを感じとっている私の素晴らしさを表すことであるが、媚びへつらいはその逆である。

私の素晴らしさを表さず、保身的でけち臭い自分を表現していくと、人間関係は貧しくなっていく。媚びへつらいが文化となり、自分の利しか考えない人が増えてくる。そういった文化のなかで自分の立場が強くなると急に偉そうに振る舞い、横暴になる。周囲はその横暴さを恐れ、身を守るためにさらに媚びへつらう。ここに誰も信用できない嘘くさい世界が完成する。

この虚構の世界は、平時は影を潜めているが、有事にはあばかれてしまう。自分の利が中心では有事に対応ができず、滅びへの道を進むからである。

などと高いところから発言させていただきましたが、経験不足な若輩者でありますので、若造の戯言だと思って聞き流していただければ幸いです。話は変わりますが、先日貴社にいただいたお菓子の「頂き」を弊社一同でいただかせていただきました。大変美味しく頂戴いたしました。感謝いたします。本日のコラムも至らぬ点が多々あったかと存じますが、これに懲りず、引き続きお読みになっていただければと切に願っておる所存でございます。

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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