泉一也の『日本人の取扱説明書』第106回「裏の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第106回「裏の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

今から18年前、米国はアトランタにて世界コーチ大会に参加した。世界中から数千人のコーチが参加する大会。9割は白人であった。基調講演として全体セミナーがあったが、それは華やかなショーであった。さすがアメリカ。ショービジネスの国。コンサートのごとく演出がなされ、楽しく参加できた。

しかし、後味が悪かった。違和感が残った。この違和感がその後ふつふつと高まり、私はその7年後コーチ業界を卒業した。

何に違和感があったのか。それは、楽しいショーであったことだ。ショーの主役はカリスマとなる。皆が主役に目を輝かせる。輝いた目がスクール事業、資格事業、出版事業へとつながる。憧れを軸にしたショービジネスであった。

コーチとは裏方である。裏方なのに華やかな表の世界で「ポジティブであろう!」「人生の主役になろう!」などと叫ぶ。その明るく前向きなキャラクター。そして冴え渡るトークに感動するストーリーテリィング。ほとんどの人はその魅力にほだされて「疑う」ことを忘れる。

目利きとは偽物を見極める目でもあるが、目が輝いた瞬間その目を失ってしまった。

そうして、見極める目を失った素直な消費者たちがプロを名乗り始める。目利きのお客はその嘘臭さを見抜くので「コーチとか名乗る人たちは気持ち悪い」という。そして一番大事な「コーチング事業」が発展しないことになる。コーチの資格を持ち名刺を持つ人がたくさんいるのに、顧客がいない。つまりクライアント市場が育ってないのだ。コーチを育てるスクール事業と資格ビジネスに偏っていた。

そんなクライアントのいないコーチたちは口を揃えていう。「日本はコーチをつけるという習慣がないからね」。さらに私はこう慰めたい。「日本は靴を脱いで家にあがるように、敷居が高いのです。土足で入って欲しくないのですよ。」

これは皮肉である。あなたは土足なんですよ。突然、明るく楽しくポジティブに!あなたは可能性に満ちてます!なんて言って来る人どうでしょうか。怪しいでしょ。何かの宗教の勧誘?と勘ぐられるのは当たり前である。そんな相手が勘ぐることに気づかない人がコーチなどできるはずがない。

昨年「一兆ドルコーチ」という書籍が出版されたが、レジェンドのコーチ「ビル・キャンベル」は裏方であった。数々の成功した経営者たちはビル・キャンベルをコーチでありメンターであり人生の師と仰いだ。こういった本物はショーをしない。スクールビジネスも、資格ビジネスも、出版さえもしない。ただその素晴らしさを知った人たちが、褒め称え、大切な友人を紹介し、その生き様、哲学、技術を伝承しはじめる。現に「一兆ドルコーチ」はビル・キャンべル亡き後に出版されている。

日本の文化芸能は表に出ない。能は仮面をかぶり、歌舞伎は仮面のごとく化粧し、浄瑠璃は人形が主人公である。落語に至っては、物語の中に出てくる与太郎に熊さんに八つあんが主人公である。「表」に出てきた落語家立川談志さんは選挙に出て国会議員にもなったが、「現代の笑いはイリュージョンである」といった。立川流落語家の多くがTVタレントに俳優に執筆と多いのは、イリュージョンというショーの世界に入ったからだろう。ショーは自分の表を見てもらうのが主であるからだ。

日本の文化は「裏」である。その裏に味がある。今、表のビジネスが次々と限界にきている。裏が表にひっくり返る時がきたのかもしれない。

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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