泉一也の『日本人の取扱説明書』第107回「イデアの国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第107回「イデアの国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

ソクラテスの弟子プラトンは完全な世界「イデア」があるといった。真理を探究していくと真実が徐々に見えてくる。現実は不完全なのに完全な世界=真実が見えてくるというのは、完全な世界が実際にはどこかにあって、我々はその影を現実として見ているだと。

これが洞窟の比喩と言われるもので、人が住む現実とは洞窟の中で、その洞窟の外に真実の世界があり、外(イデア界)から射し込む光の影を洞窟の中で我々は見ているというのだ。ちなみにこのイデア界から一つの知恵が現実の形になったものがア・イデアである。

「降りてきた!」という表現を使うことがあるが、それはイデアと繋がってそこから知恵が降りてきたともいえる。ちなみに私はイデアとつながる感覚に自分をチューニングすることで、場活もコーチングも原稿も書いている。いつ何が降りてくるかはわからない。「いきあたりばったり」なのだが、イデアにつながると「いきあたりばっちり」になることは経験上知っている。

プラトンの弟子のアリストテレスはこのイデア論とは逆に哲学を進めていく。現実と経験がベースにあるという考え方だ。プラトンの観念論に対しアリストテレスは経験論という。数学では演繹法と帰納法といったりもする。

ソクラテスが哲学の祖であり、そこからプラトンとアリストテレスという2大哲学者が生まれ観念論と経験論の2つに分化し、さらに西洋哲学は分派していく。経験論は実験と実証を要とする科学へと発展し、現代の科学中心の文明につながった。

ちなみに、これは私のア・イデアであるが、ソクラテスはプラトンが想起した架空の人物ではないかと。プラトンは対話篇という書籍において、ソクラテスとプラトンとの対話を通して哲学を伝えているが、プラトンは真理を探究する過程をソクラテスという師匠を架空に設定し、読者に追体験させたかったのではないだろうか。小説のように読者の感情移入を誘うため、ソクラテスをドラマチックな物語を生み出すキャラに設定したのではないかと。

ソクラテスが架空の人物かどうかは、実験と実証ができないので「泉さん、それはエビデンスがないだろ」と経験論者に怒られそうだが、プラトンがアカデメイアという世界初の大学を作ったことからも、教育者として効果的な教育法を考えた産物なのではないだろうか。

プラトンはさらに想起説という魂の輪廻転生を説いている。魂はイデアの世界を知っていて、それを思い出すことを「想起」といっている。学ぶとは新知識を得るのではなく「思い出す」というのだ。

ちょうどプラトンの100年前に同じことを言われていたのがお釈迦様、ブッダである。ブッダも弟子たちが教えを広めるために作った架空の人物ではないかと私は密かに思っているのだが、魂の輪廻転生を説かれている。そして「空」の世界には無限の智慧があるという。イデア界と同じ考え方である。

そのお釈迦様は「仏教は東の最果ての地にて開花するだろう」と予言されたらしいが、それが日本ではないだろうか。聖徳太子によって仏教が国教となり、最澄と空海が日本に仏教の表と裏の真髄を広め、さらに鎌倉時代に仏教が開花していった。

学ぶとは知識を得ることというのは経験論であるが、「思い出すこと」というのは観念論である。リンミンメイの「覚えていますか?」の歌詞に妙に響く人が日本に多いのは、日本が本来観念の国である実証になるだろう。エビデンスはないのですが。

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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