働くちから

人類初の株式会社は、1602年に設立された、
オランダ東インド会社だと言われている。
だが現在のように、
大資本による大量生産が可能になったのは、
第二次産業革命の後である。
つまり、今から200年ほど前。
それまでは、石油や電気というエネルギーすら無かったのだ。

日本に初めて株式会社が誕生したのは150年前であるが、
今のように会社員が激増したのは戦後になってからである。
私たち日本人にとって、働く=会社に勤める、
という図式は常識のようになっている。
だが、たった数十年前まで、
そのような常識は存在しなかったのである。

当たり前の話であるが、
株式会社が誕生する前から、私たち日本人は働いていた。
商業も発達していたし、役割分担による効率化も図られていた。
株式会社が普及したことによって、
更なる効率化が実現したことは確かである。
だがそれと引き換えに、失ったものもある。

会社に勤める。会社員として働く。
もちろん、その選択肢を、私も否定したりはしない。
だが、会社員としてしか働けない、
というのは、明らかな退化ではなかろうか。
学歴がない、職歴がない、50歳を過ぎている。
だから働くことが出来ない、という主張。
それは正しいのだろうか。

確かに、会社はそのような人を雇わないかもしれない。
だったら、雇われずに働けばいい。
雇ってくれる会社がない
=仕事がない
=働きたくても働くことが出来ない。
これは、あまりにも思考停止な状態である。

にもかかわらず、
メディアはそれが当然のことであるかのように取り上げる。
そして私たちも、その常識に完全に取り込まれてしまっている。
だがその常識は、
ここ数十年でつくられたものに過ぎないのである。
もちろん、時代が変われば、常識も変わる。
だから多くの人が、そのような常識を持っていることも、
仕方のないことだと言える。

だが、仕方がないでは、済まされないこともある。
それは、働く力そのものが、退化してしまったことだ。
当然のことながら、これから先も常識は変化し続ける。
働く=会社に勤める、という常識が再び変化した時、
私たちはその変化について行けるだろうか。

会社に雇用され、言われた通りの作業をこなし、
毎月安定した給料を受け取る。
会社が社員を育成し、社会保険料を払い、
休日まで保障してくれる。
この環境に慣れてしまった人たちが、
再び自力で仕事をすることなど可能なのか。

会社というものが誕生する前、
私たちにはもっと働く力があったはずだ。
人の役に立つことを考え、自ら仕事をつくり出し、
顧客と繋がっていく力。
長い会社員生活の中で、その力はすっかり衰えてしまった。
だがそれは本来、
私たち一人ひとりがもっているはずの力なのである。

日本ではフリーランスで働く人が1000万人を突破した。
この先その数は、更に増えていくだろう。
私たちは今一度、働くことの意味を考え直さなくてはならない。
働くとは、月給を受け取ることではない。
働くとは、人の役に立つことなのである。


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