思考と行動の境目

三年寝太郎という物語をご存知だろうか。
三年間ただ寝ているだけのぐうたらな男が、
目が覚めると同時に村の課題を一気に解決する、という昔話。
ただ寝ていた訳じゃない。
実は寝ながら一生懸命考えていた。
だから起きた瞬間に、村の課題を一気に解決できた。

そういう流れなのだが、
この物語にはどのような示唆が含まれるのだろか。
人は見かけで判断してはならない、ということか。
だがそんな示唆は、
我々現代人にはとても受け入れられるものではないだろう。
努力と忍耐と勤勉こそが成功の秘訣である、
というのが我々の常識だから。

だが実際のところ、どうなのだろう。
物語ではなく現実として、このような現象は起こるのだろうか。
ここで重要になってくるのは、寝太郎の言い分である。
ただ寝ていたのか、それとも本当に考えていたのか。
そして、本当に考えていたのであれば、
その戦略は有効なものなのだろうか。

そんなものが有効な訳がない。
考えていた、など単なる言い訳に過ぎない。
寝ていたヤツは、結局は寝ていたのである。
人は寝ないで行動するべきだ。
それが常識的な意見ではなかろうか。
実際、三年寝ていた人が起きた途端に東大に受かる、
などということは起こらない。

考えるだけで行動しない人間
=何の成果も出せない口だけの人間。
その図式が、私たちの中には「現実」として出来上がっている。
だが本当に、それは現実なのだろうか。
いや、正確に言うならば、それだけが現実なのだろうか。

私が指摘したいポイントはひとつである。
考えるだけで行動しなければ、何も起こらない。
それは正しいと思う。
では、何も考えずに行動すれば、何かが起こるのだろうか。
行動していけば、必ず何かが起こる。
それにきちんと対処していけばいいのだ。
走りながら考える、という結論。
それは、現代人にもっとも支持された結論である。

走りながら考えること。
考えながら走ること。
このふたつは同義だろうか。
私は違うと思う。
優先順位が違うのである。
前者の優先順位は走ること。
そして後者は考えることだ。

当然の結果として、前者は考えることがおろそかになる。
実際、何も考えずに走り続けている社会人がほとんどだ。
後者は、走ることがおろそかになる。
その結果、立ち止まって考える時間が長くなる。
思考と行動。
それは、どちらが本質なのだろうか。

多くの人たちは、行動こそが本質だと思い込んでいる。
だが思考を伴わない行動は、単なる動作、
単なる条件反射ではないのか。
もちろん、思考を伴わない行動にも意味がある。
同様に、行動が伴わない思考にも意味がある。

たとえば羽生善治永世七冠にとって、
思考することは行動することと同義である。
思考し、その延長として、駒を動かす。
私たちの仕事も同じだ。
思考とは即ち、行動なのである。
まず走れ、というのは、思考をするなと言っているに等しい。
自分の人生を生きるとは、思考しながら生きることを意味する。
思考しない人生は、単なる時間の消化(命の消失)なのである。


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