金の境目

金と書いただけでは、どちらなのか分からない。
キンなのか。それともカネなのか。
金本位制の時代にはカネ=キンという
図式が成り立っていた。
自国の通貨と金を一定比率で交換することを
国が保証していたからである。

しかしそのような保証は
もはやどの国にも不可能である。
なぜならカネの総量がキンの総量を
はるかに上回っているからだ。
今後カネは硬貨や紙幣とすら交換できない、
単なるデータへと変わるだろう。

ではキンとカネとの関係はこれをもって終わるのか。
じつは今でもキンとカネは非常に仲の良い関係である。
カネが暴落しそうになったらキンを買う。
カネが高騰しそうならキンを売る。
キンとカネは金融経済の基本なのである。
ではこの関係はどうやって始まったのか。

たとえば金山で金を採掘する。
金の埋蔵量がたくさんありそうな場所には、
どんどん人が集まってくる。
じっさい日本の金山やゴールドラッシュの
カリフォルニアには多くの人が押し寄せてきた。
金を掘れば儲かるからだ。

ではなぜ儲かるのか。
それは多くの人が金を欲しがるからである。
なぜか昔から人類は世界中で
この金属を寵愛し続けている。
錆びないからか。
あるいは美しいからなのか。

何れにしても、この金属への寵愛なくして
人類の発展はなかったであろう。
遠く離れた国同士が貿易できたのも、
金という根幹になる価値基準があったからである。
金山で金を掘る。
金がたくさん出るとなれば人が集まってくる。
それは単に採掘に携わる人だけではない。
そこはすべての始まりの地なのだ。

“ゴールドラッシュで一番儲けたのはリーバイスだ”
というのは有名な話である。
じっさい金が出る場所には様々な商店が出来上がる。
メシ屋、飲み屋、遊郭などの遊び場。
リーバイスのような衣料品屋に雑貨屋、
食器屋、薬屋などなど。
つまり金(キン)こそが経済(カネ)の
源となっているである。

カネがなければ人は集まらないし、
人を動かすこともできない。
そして人が動かなければ経済は発展しないし、
文明がここまで発達することもなかった。
すべての始まりは金への寵愛なのだ。

なぜ食料ではなく、衣類でもなく、
武器にも加工できない柔らかな金属だったのか。
こればかりは謎である。
国の保証はなくなったがそれはあくまでレートの話。
レートは動くがカネとキンとはいつでも交換可能だ。
人類は金の魔力から永遠に逃れられないのかもしれない。

 


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