こんにちは。中小企業のブランドづくりを支援するBFIブログ編集部です。
筆者は、子どもの頃から、大人になったら一生懸命仕事をすることがカッコいいと思っていました。そして就職をしたときもその考えは変わりませんでした。
でも毎朝、横断歩道に立ち、通学する子どもたちを見守る50代の男性に出会い、その気持ちに変化が生まれています。
その男性は、リストラにあい、その後、今の仕事をされています。
毎朝1時間弱の仕事で、パートナーが働き、男性はいわゆる主夫。
昼間の空いた時間には、小中学校に行き、木を切ったり、道路の掃除をしたり、薄謝で近所に住む年配の方のお宅の庭の整備をしたり。
この地域で欠かせない方になっています。
ご本人もとても楽しそうです。
伺ったお宅で夕飯のおかずをいただくこともあるそうで、とてもいい関係だなと思います。
自分のためではなく周囲の人のために、自分が得意なことで力になろうとする姿は尊敬します。
安田はツイートでこんなことを言っていました。
就職することは、報酬を得ること。そして、何かを得るということは、何かを失うということ。この場合、失うのは時間です。自分の時間の使い方、すなわち命の使い方を、他人に委ねるということ。私は別に就職を全否定している訳ではありません。失っている、という自覚を持たないことが、問題なのです。
— 安田佳生 (@yasuda_yoshio) June 9, 2017
エピソードの男性は、職を手放したことで自分で使える時間を得たわけですね。
今の日本で生きていくためにはお金が必要ですが、周囲と良い関係を築くことで、多くの収入がなくても地域で豊かに暮らしていけるのかもしれませんね。
そんなことを考えさせられた出会いでした。
仕事をすることの意味を改めて考えてみると、新たな価値観の気付きがあるかもしれません。