【コラムvol.10】長くいい仕事ができる人は、
『自己実現』ばかりを追う人より、
仕事のけがれを『自己浄化』できる人。

「ハッテンボールを、投げる。」vol.10  執筆/伊藤英紀


 

本屋に平積みされている自己実現本や自己啓発本の山を見ると、
「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」という論語の一節が浮かぶ。

孔子は、イエス・キリストが生誕する500年ほど前に、この世を去っている。
2000数百年前の中華文明ですよ。中国の底力を感じますね。余談ですが。

1000年後に論語のこの一節に触れた、大和朝廷の貴族や豪族も、
「やりすぎはいかんのお」「深追いはヤバイぞお」と自戒したのだろうか。
(それにしても飛鳥時代で1000年後だから、くどいようだが古代文明国ってすごい)

現代は、そんな古代や中世近代のアカデミアな書物など、ほとんどの人は読まない。会社の評価を得てなんとか生きぬくことに必死で、忙殺されるまいにちだ。

現世的なメリットにつながりそうもない本は、プレゼントされても所詮迷惑ゴミ。
好きな女の子にあげたらフラれてしまうか、
ヘタするとハラスメント扱いされて、ひっぱたかれるかもしれない。

じゃあ、なにを読むかというと、現世的に得する生き方がしたいのだから、
おのずと『自己実現本』や『自己啓発本』がけっこう売れるというわけである。

人の成長意欲と人のセックスは笑わない。これが大事なことですから、
自己実現、自己啓発は、いいことだとは思う。
しかし、過ぎたるは、なお及ばざるがごとし、なのだ。

こういう類の本が売れ筋だということは、
『自己実現の喜びを思うように得られなくてイライラする人』が
それなりに多いということだろう。

『成長しなきゃ、給料も地位も上がらない。企業社会カーストの下層になっちゃう。
経済的に強者のいい女いい男ともつきあえない。チクショー!』と、
ヒステリックな焦燥に駆られている人も少なくない、ということだろう。

そこで今回は、若い人も読んでくれているようなので、
説教めいたことを、えらそうにタレてみたい。
「自己実現の喜びを追うだけでは、長くは続かないし、いい仕事もできないよ」と。

私はコピーライターとしての技術を、
いまの企業表現コンサルの仕事に生かしています。
若いときは特にそうだったが、的を射たコピーが書けた、と自己満足できたとき。
あるいはクライアントから、「発見と驚きがある。人に届くコピーですねえ」と
ホメられたとき。じわじわぁっと自己実現の喜びが全身に広がったものだ。

能力や鍛錬を認められたこともうれしいし、
これでなんとかプロとして食っていけるぞ、と不透明な先行きに
光がさした歓びもあった。

でも、そんな充実など、ほんの一瞬のこと。
それを体感するためには、日々うんざりするほどの情報量を処理・分析したり、
人への取材を繰り返したり。情報の渦の中で、鮮やかな切り口ってやつを
見つけるために、デスクに自分を縛りつけてもがいたり。

夜中にホトホト嫌気がさして、壁にむかい呪詛のような
ひとり言を吐きだしたこともある。
邪心や悪意のあるクライアントの言葉や態度に、屈辱を味わって
沈み込んでしまった日も当然ある。

すなわち、『自己実現の喜び』は、しんどいのである。
とてもじゃないか、『自己実現の喜び』くらいじゃあ、
30年も40年も仕事レベルを維持することなんかできねーよ!なのである。