「ハッテンボールを、投げる。」vol.25 執筆/伊藤英紀
社歴、というと、10年30年と、
長いレンジを想像する人がいる。
しかし、時間の長さは本質ではない。
3年でもいいし、3か月でも、
3日間でも、3時間でもいいのだ。
いまの価値観ができあがった、
その物語こそが重要である。
たとえ30分の出来事であろうと
社長の心が切りかわり、方向を発見し、
経営が意志をまとって鼓動し、
動き始めることがある。
時間の幅に関係なく、
そんな転換期が人にはあるものだ。
「歴史は現代史である。」
小林秀雄は、ベネデット・クローチェ
という哲学者の言説をあげながら、語った。
「きみはね、きみは自分を知るときに、
直接きみを知ることはできないんです。」
「きみ自身を反省するのはだな、
きみの子どもの時の頃を考えることだろう。」
「歴史的事件ですよ。
だから、きみを振り返るときみを知る。」
歴史を振り返らずに、
自分が自分を知った気になること。
そんなものは空想に過ぎない、
と小林秀雄は言う。
数年前に、ある社長に取材をした。
自分の考えをまとめて、
社員に伝えたい、ということだった。
『これから』について、
『社員への要求』について、
雄弁に語る人だった。
しかし、そこどまりの話では、
社長を理解できない。
社長自身の
『これまではどうだったのか』
『自分に何を要求してきたのか』
そこを掘らないと、上澄みだけをすくうことになる。
社員に伝えるべき、
中身のつまった内容はまとめられない。
そこで、社長にこれまでのことを質問した。
するとその社長は、あいまいに答え、
そのうち腹を立てはじめた。
そんな質問は、意味がないと。
過去を聞くのは、ネガティブだと。
この社長にとって、
歴史は現代史ではなかった。
過ぎ去った時間など無用、
あるいは後ろ向きのネガティブなものであり、
現在ただいま自分が発している考えだけを
言葉にして欲しいようであった。