このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
当事者意識の罠
僕、趣味で空手みたいなのやってるんです。
それがちょっと凶暴なやつで、ぶん殴りまくって、放り投げて、絞め殺す・・・みたいな(汗)
ひょんなことから、試合に出ることになったんですよね。
もう、心配で、不安で、怖くって。
先輩に聞いてみたんです・・・
「僕みたいな弱いやつが出たら、死ぬとか、ありますよね?大丈夫ですか?」
「心の底から」ってこいうときに使うんでしょうね、心の底から心配で先輩に聞きましたよ。
そんな僕に先輩はこう言いました・・・
「死ぬ前に止められるから大丈夫です」
・・・そういうことじゃない!
試合に出ることを決めて以来、僕は大好きな格闘技の動画を見ても、不安で不安でたまらないんですよね。
えぇ、もちろん、仕事なんて手に付かないですよ。
ボコボコにされて、失神KOされている選手と僕の未来がかぶっちゃって。
よく考えたら、格闘技ってどっちかはこうなる訳ですから、こんな恐ろしいことってないですよね。
選手になる、つまり「当事者」となって、180度見方が変わちゃったわけです。
で、下手すると試合が命日になるかもしれないって状況にもかかわらず、「なんでこうなっちゃっうんだろう?」ってギモンがわいてきちゃったわけです。
不安で仕事も手につかない状態で、さらにギモンなんか持つもんだから、仕事の進捗度0%です。
ただ、これ、すぐに答えが出ました。
僕の中でね。
ズバリ、「当事者になったから」じゃないかな、って思うんです。
「当事者」って言葉を調べると・・・
「その事または事件に直接関係をもつ人(広辞苑)」
・・・って書いてあります。
とするとですよ・・・
ある事柄との関係性が一定のレベルを超えて、臨場感が極めて高くなった状態を「当事者意識を持った状態」と定義できるんだと思うんですよね。
だから、当人の想像力とかにも依存するんでしょうけども。
ちなみに、僕は妄想家を名乗ってもいいくらい妄想できちゃうので、あっという間に当事者意識を持てちゃうんですよね。
だから、試合で殺されちゃうって本気でビビってるわけで。
ところで・・・
「経営者意識を持った社員を育てる!」なんて言ってる経営者の方っていますよね?
確かに、そんな社員さんがいたら、経営者にとっては心強いですよ。
でも、この当事者意識を持った状態になってもらうには、経営者になってもらわないと(もしくは相応の臨場感を抱かせないと)無理なんですよね。
実は、僕は数年前に会長職になり、社長というポジションの他人承継(株式も半分渡した)を経験しました。
日本法人の社長になったのは当時No.2だった人間(創業メンバーで当時は常務取締役)なんですけど、彼でさえなってみて初めて、しばらくやってみて初めて、経営者(社長)の役割や重要性、影響力に気づくって状態だったのでね。
だから、一般の社員さんに「経営者意識を持て!」ってのは随分酷かなって思うわけです。
そして、それを言うのは中小企業の社長だったりして、他人承継をそもそも考えていないケースも多いわけで、となると経営者意識に相応する臨場感なんて与えられませんよね。
だいたい、経営者意識を持った社員さんが出てきたら、「この接待交際費はダメなんじゃないですか?」「社用車ですけど、実際のところほぼ社長の私用ですから、経費計上しないでください」って言い始めますから、不都合のが多かったりするわけで(苦笑)
だから、まぁ、「部長意識を持て!」くらいにしておいた方が良いんじゃないかなぁ、なんて思うんですよね。
その場合、部長が居てもおかしくない規模の組織じゃないと、さすがに「4人の会社で部長もクソもないやんけ」って思われちゃうのでね。
まぁ、今回はこんな感じでいいかな?
ほら、あんまり書いちゃうと、また次のギモンが出てきて仕事しなくなっちゃうから。
もうすでに、「ところで、◯◯もクソもないの“クソ”ってなんなんだろう?」って湧き上がってきてるからね・・・
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。