これからの採用が学べる小説『HR』:連載第1回(SCENE: 001〜002)【第1話】

HR  第1話『イタリアマフィアの爆弾』執筆:ROU KODAMA

この小説について
広告業界のHR畑(求人事業)で勤務する若き営業マン村本。自分を「やり手」と信じて疑わない彼の葛藤と成長を描く連載小説です。突然言い渡される異動辞令、その行き先「HR特別室」で彼を迎えたのは、個性的過ぎるメンバーたちだった。彼はここで一体何に気付き、何を学ぶのか……。これまでの投稿はコチラをご覧ください。

 


 SCENE:001


 

「は? 異動?」

新しい期が始まって間もない4月半ば。木曜朝9時のミーティングルームで、俺は敬語を使うのも忘れて聞き返した。白い壁に囲まれたこの30畳程度の部屋には、俺と鬼頭部長の二人しかいない。

鬼頭部長は俺の言葉が聞こえなかったように、もはやトレードマークと化したスタバのコーヒーをゆっくり口に含み、目を閉じる。50代前半のはずだが、サーファーにしか見えない黒い肌、きついパーマのかかったカールヘア、イタリアマフィアのような光沢あるストライプスーツのせいもあって、かなり若く見える。3つの営業部を束ねる統括部長、創業メンバーというわけではないがそれに近い社歴があり、昨年期初の人事でついに取締役に名前を連ねることにもなった。

「あの……部長?」

俺が促すとやっと鬼頭部長は目を開け、俺に初めて気がついたみたいに「ん? どうした」などと言う。

どうした? じゃねえよ。俺は心の中で舌打ちをする。いつだってこの人はわけがわからない。突然おかしなことを言い放ち、現場をめちゃくちゃに混乱させる。天才肌というか気まぐれというか、本人的には「熟考した上」での話だそうだが、如何せんタイミングが突然なので、周りの人間は心が休まることがない。もっとも、無理難題を押しつけられるのはマネージャークラスの管理職たちで、自分のような末端社員は直接話すことすら稀なのだ。

しかし今朝、珍しく朝からウチの部署に顔を出した鬼頭部長は、こともあろうにいきなり俺の名前を呼んだ。そして、鼻歌交じりにミーティングルームに呼び出すと、まるでファミレスでメニューを選ぶような気軽さで「ちょっとお前、別部署に異動させるから」などとのたまわったのだった。

「……ですから、その、異動の件です。というか、そもそもこんな時期に異動なんて」

鬼頭部長の発言に、俺も見事に混乱していた。3ヶ月毎に決算するクォーター制を採用している当社では、組織変更があるとすればその変わり目だ。特に部署間・拠点間の異動といった大きな変更は年度末、もしくは半期折り返しのタイミングでしか行われないのが常だった。4月頭、新たな組織体制のもとで今期をスタートさせたばかりの今、この人は一体何を言い出すのか。

俺の言葉を鬼頭部長は微かに首を傾げるように聞くと、たっぷり10秒近く間を置いて、言った。

「ああ、まあ、そういう異動じゃねえんだ。どっちかというと、研修だな、研修。とりあえず1週間でいいから、行って勉強してこい」

なんだよそれ、また心の中で悪態をつく。異動だと言っていたのに、今度は研修? いよいよ意味がわからない。一体どこへ、いつから、何を学びにいくのか。確かめたいことは山ほどあったが、変につっこむと、話がおかしな方向にねじれることも考えられた。どれだけ変人だろうが、この人が統括部長で、しかも取締役だという事実は変わらない。下手に機嫌を損ねれば今後にも関わる。

「……わかりました」

できるだけ感情を込めずに言った。鬼頭部長の中で決まったことならもう仕方がない。そもそも拒否権のない話なら、異動より一週間の研修のほうがずっとマシだ。

「そうか。じゃあ詳細はあとで送っておくから」

「はい、よろしくお願いします」

俺が頭を下げると、鬼頭部長はコーヒーを手に立ち上がった。話は終わり。頭はもう次の考え事に移っているのだろう。俺の横を通り抜ける時、大人の男を感じさせるスパイシーなコロンが香った。175cmある俺より背が高い。あらためてその迫力に気圧される。

「あ、そうだ」

扉の前で鬼頭部長は立ち止まり、振り返った。

「お前の志望動機、なんだっけ」

「……は?」

「だから、なんでウチに入ったんだっけ」

「それは……」

どうしてそんなことを今聞くのだ。面接の場で何と話したのか必死で思い出そうとするが、突然のことでうまくいかない。

「あの……ですから」

口ごもる俺を鬼頭部長はなぜか眩しそうに見つめた。無精髭の生えた口元が笑っている。女だったら一発で落ちそうな、自信と余裕の溢れた笑みだった。

「もう忘れちまったか」

鬼頭部長は独り言のように言い、「じゃあな」とまるで外人の挨拶のように手を上げ、颯爽とミーティングルームを出ていった。

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