HR 第3話『息子にラブレターを』執筆:ROU KODAMA
SCENE:022
「具合悪くないのに病院行くのって、なんか罰当たりな気がしない?」
よくわからないことを言いつつ、室長はタッチ式の自動ドアに触れる。あまり新しくないのだろう、足の悪い老人のようなスピードで扉が開く。
言葉とは裏腹に、室長の足取りは軽い。まるでスキップくらいしそうな勢いだ。入ってすぐに総合待合があり、そこは老若男女でごった返していた。そういえば、インフルエンザがどうの、というニュースが昨日やっていた気がする。俺は思わず口を手で押さえつつ、室長の後を追う。
「総合案内」とプレートのかかった受付スペースに行くと、室長は深々とお辞儀しながら名刺を差し出した。
「こんにちは、私、こういう者です」
ベテラン風の受付スタッフがギョッとした顔で室長を見返す。確かに、病院の受付でいきなり名刺を出してくる人間は多くなさそうだ。
「今日は、中澤工業の中澤社長とお約束があって参りました」
50台半ばくらいだろうか、大手企業の経理課にいそうな雰囲気の女性スタッフは、冷たい目で室長を見据えると、手元のファイルを開いた。入院患者のリストなのだろう。
「お約束……ご面会ですね」
パラパラとページをめくりながら言う受付スタッフに、室長は言う。
「違いますよ。私は商談に来たんです」
ファイルに置かれた手が止まり、ゆっくりと視線が上がる。
「……商談」
「そう、商談です。病院で商談なんて、珍しいですよねえ」
何がおかしいのか、1人で笑う室長に受付スタッフは顔をひきつらせ、そして、なんなんですかこの人、とでも言わんばかりの目を俺に向ける。……いや、そんな怖い目をされても、俺にだってさっぱりわからない。
俺が苦笑いを返すと、受付スタッフはため息をつき、意外なほどあっさりと部屋番号を教えてくれた。こんな変人には関わらない方がいいと思ったのかもしれない。
患者で満載のロビーは嫌でも騒がしかったが、室長と二人廊下を進んでいくと、いつの間にか病院独特の空気になった。小さなころよく行った市民プールを思い出す消毒液のにおい。内科、皮膚科を過ぎ、キヨスクに似た小さな売店を抜けると、目的の入院棟入り口があった。それを示すプレートの上に、走る人間の描かれた非常口の誘導灯があって、妙に不気味だ。
入院棟に入るといよいよ臭気は強くなった。消毒液に人間の生活臭というか、汗と排泄物の生々しいにおいが重なる。節電なのか蛍光灯が半分ほど消されているせいもあって、空気は重い。
「あの……それで、どういう案件なんですか」
さらに廊下を進みながら言う。本当に奥に長いつくりだ。この様子だと入院患者も多いのかもしれない。
「どういう案件って?」
「いや……だから、どういう客なのかとか、募集職種はなんなのかとか……」
「ああ、僕もまだ詳しくはわからないんだよ。とりあえず行ってきて、と言われただけだから」
「とりあえずって……」
「三部のお客さんでさ、ちょっとトラブってるみたいなんだよねえ」
「え?」
驚きつつも、またかと思う。こないだ保科と行った案件も、社長がカンカンだった。最終的になんとかおさまったからよかったものの、どうしてHR特別室はこういう案件が多いんだ。
……そう考えて、俺は気づいた。
HR特別室というのは、営業部でどうにもならなくなった客を押し付けられる、いわばクレーム処理班なのではないのか。鬼頭部長が電話で、「HR特別室はそう甘くねえぞ」と言っていた理由も、そういうことなのかもしれない。
ということは俺はやはり、M社の件で「罰」を与えられたということなのだろうか。
げんなりしながらエレベーターに乗った。大手企業ばかりを担当する営業一部の俺が、三部の客に会いに行くなんて、それだけで屈辱だ。