これからの採用が学べる小説『HR』:連載第14回(SCENE: 022)【第3話】

3階に上がり、人もまばらなナースセンターを横目に廊下を進む。あの騒がしかった総合待合がウソのような静けさだ。

「あ、ここだここだ」

やがて室長が言い、ごめんくださーいと呑気に言いながら、引き戸をスライドした。

そこは個室ではなく、左右に3つずつベッドが並んだ6人部屋のようだった。そのうちいくつかのスペースはカーテンが閉じられ、中の様子は窺い知れない。だが、物音を聞きつけたのだろう、右側の一番奥から、ひょこっと顔を出す男がいた。

「ああ、どうも。こっちです」

ニコやかな初老の男性だ。病人らしいしわがれた声で言い、手招きして見せた。どうやらあの人が今日の商談相手らしい。トラブってる、と聞いていた割には、別段怒っている様子はない。

「ああ、これはこれは。中澤社長でいらっしゃいますか」

室長に続いてベットの脇まで行くと、社長の首から下が見えた。くたびれた灰色のパジャマを着て、ベッドの背もたれに体を預けている。六十代前半、といったところだろうか。白くなった短髪に角ばった輪郭、深いシワの刻まれた褐色の肌。厳つい風貌ではあるが、全体的に小柄なのと、小動物のような優しげな目をしているからか、受ける印象はやわらかい。

「先ほどはお電話ありがとうございました。私、こういう者です」

室長がいつものように深々と頭を下げ、名刺を差し出す。

「ああ、こりゃこりゃ」

社長は慌てた様子で、隣に置かれた棚の引き出しを開け、裸の名刺を取り出す。

「どうもどうも、私、中澤です」

「よろしくお願いします」

ふっと社長の視線が俺に向いた。

「ああ、彼はちょっと研修でついてきてまして」

「あ、すみません。村本と申します」

「ああ、そうですか。どうもどうも」

社長はニコやかにそう言って名刺をくれ、俺のものも丁寧に受け取ってくれた。その節くれだった指に、現場系の仕事だろうかと考える。

「ゴメンなさいね、こんなとこまで来てもらっちゃって。椅子あるから、座ってください」

壁に立てかけられたパイプ椅子を2つ用意し、室長と並んで座る。

「それで、ご容態はいかがでしょう」

あらためて室長が聞いた。

「ああ……いや、大したことねえんです。昔からちょっと心臓が悪くてね。疲れがたまると、悲鳴を上げますもんで。でも、二三日こうやって休めば、もう元通りになります」

「はあ、そうなんですか。確かに、見た目にはお元気そうに見えますけども」

室長が言うと、社長は苦笑いして手を振った。

「まあ、私のことは別にいいんですわ。……それより、さっそく話をさせてもらいたいんですが」

「求人の件ですね」

室長が言うと、社長は真剣な顔で頷いた。

「随分お急ぎのようですけど……ひとまず、御社のことをいろいろ聞かせてもらいたいんですが」

「いろいろ、と言いますと?」

「求人広告というのは、常にオーダーメイドですのでね。まずは御社のことを知らねば、何もご提案できません」

室長が言うと、「ははあ、そりゃそうだ」と社長は笑い、頭を掻いた。人の良さが滲み出ている。こんな人とどうやったらトラブルになるというのか。

「中澤工業は、どんな事業を?」

「そうですねえ。まあ、一言で言や、製造業ですわね」

「製造業」

室長はいつの間にか取り出したメモ帳を開く。

「まあ、それじゃあ何のことかわからんわな……ええと、電気検査に使う機械の、そのまた部品を作ってます。非常に小さなモノなんだが、それがなきゃ検査自体ができませんので、大事な部品なんですわ。まあ、普通の人は見たことも聞いたこともないだろうね」

「なるほど。製造規模は、どれくらいですか」

「今は月産2万本から3万本くらいかな。本当はもう少し増やしたいんだが、なにせ小さな工場だから」

「社員さんはどれくらいいいらっしゃる?」

「社員なあ……まあ、身内でやってるような会社なもんで。私がいて、家内が経理をやって、社員が3人、あとはパートの事務員が1人。ああ、そうそう、他にベトナムの子らがいますわ」

「ベトナムの?」

「なんつうの、そういうの、やっとるんですわ。日本で技術を学んでね、本国に帰って、頑張るっていうね」

「はああ、なるほどなるほど」

室長は大きく頷いて、メモを取る。ちらりと見るが、あれは字なのだろうか。汚すぎて何を書いてあるかわからない。とはいえ、社長の話を聞いて、少しずつ中澤工業という会社の様子がわかってくる。いわゆる町工場、小ぢんまりとした工場なのだ。ただ、社長のやわらかい人柄のせいか、イメージは特に暗くはない。

「失礼ですが、ご自身が創業を?」

「ああ、いやいや、そうじゃないんだ」

室長が聞くと、社長は大げさに手を振った。半袖のパジャマから伸びる日に焼けた腕、その肘の内側に、止血用の絆創膏が貼られてある。血液検査をしたのか、あるいは、点滴でもしたのか。病状がわからないだけに想像が膨らむ。

「私が中澤で、社名が中澤工業だから、そう思いますわね。……でもね、これは偶然なんです。たまたま、中澤さんって人がやってた会社に入ってね。まあ、同じ集落の出の人だから、まったくの他人ってこともないんだが。ほら、あるでしょう、同じ苗字ばかり集まったような集落が。うちは中澤ばかりの集落で」

「はああ、なるほどなるほど」

「もう20年くらい前になるかな、その中澤さんが引退するってんで、私が会社を受け継いでね。同じ中澤だから都合がいいわ、なんて笑ってましたけど。もう八十代後半なんだが、元気なもんです。揚げ物なんかが好きでね。ありゃ、胃が強えんだなあ」

「ははあ、先代とは今でもお会いになる」

「そりゃ、親父だからなあ」

「え? でも、本当のご家族ではないって」

「ああ、そうか。ややこしいんだが、うちの家内がね、先代の娘なんですわ。もともと中澤工業で事務をやっとりましてね。それで一緒になったんで、私も先代の身内になったんだな。まあそれは社長を継いだあとのことなんだがね。結婚式もあげたですよ。中澤家と中澤家の結婚式で、親族みんな中澤です。もう司会者も訳が分からねえって顔しててさ」

楽しそうに笑う社長に、「ははあ……これはなかなか複雑だ」と、室長が困った顔をして頭を掻く。

「そうでしょうなあ。自分でもどこまでが家の筋で、どこからが家内の筋かと、わからんくなるものね。……まあ、とにかく、自分で興した会社ではないんだけども、先代には随分世話になったし、家内のこともあるでしょうが。だから人一倍頑張ってはきました。大事な会社を潰しちゃならねえってさ。おかげで体はこんな状態になっちまったわけだけども」

「お体、もう昔からですか」

「そうだなあ。まあ、年々弱くなりますわ。頭で大丈夫と思っても、体がダメだと言う。そろそろやめときなさい、もう若くないんだよって」

「ははあ、なるほど。そういうものですか」

「社員たち……まあ、こいつらも長いんで、もう家族みたいなもんなんだが、最近は社長に向かって怒りよりますわ。無理するな、死んだらどうするんだって。叩き上げなもんで現場が好きでね、私。本当はもっと機械に触っていたいんだが、そうやって周りがうるさいもんで、なかなか。どいつもこいつも大袈裟でいかん」

社長は困ったような笑顔を浮かべる。元気そうだが、周囲がそんなに心配するのだとしたら、かなり悪いのかもしれない。実際こうして入院しているのだ。当たり前のことだが、健康な人は入院したりしない。

だが、それならなぜ、俺たちを呼んだりするのか。採用なんて、具合がよくなってから、少なくとも退院してから考えればいいではないか。社員の誰かに任せることだってできるだろうに。

室長も同じようなことを感じたのか、話の方向を変えた。

「ということは、社長がこうして現場から離れることになって、それで新しい人が必要になったと」

室長の言葉に、なるほどそうかと思う。十人に満たない小規模な工場だ。高齢な社長と言えど、普段から現場に出ている人間が1人抜ければ大きな痛手になるのかもしれない。

「ああ、違う違う。そういうんじゃねえんだけど」

社長は手を振って否定し、それから「どう言やいいんだろな……」と天井を見上げる。

「私が現場を離れることは……まあ、そんなに影響はないです。製造といっても、今はほとんど機械がやってくれますでね。それに、知識的にも技術的にも、もう、私より社員たちのほうが上なんだ。私が居なくたって奴らがいれば現場は回る。何の心配もありません」

話がよくわからない。それならばなぜ、新しい人間を入れなければならないのか。

「ふむ……では、どうして」

室長も同じことを思ったのだろう、そう聞いた。すると社長の笑顔が、微かに歪んだ。そのままゆっくりと視線を落とし、数秒黙った後、ポツリと言った。

「実は、辞めさせたい奴がいるんですわ」


SCENE:023につづく)

 


 

著者情報

児玉 達郎|Tatsuro Kodama

ROU KODAMAこと児玉達郎。愛知県出身。2004年、リクルート系の広告代理店に入社し、主に求人広告の制作マンとしてキャリアをスタート。デザイナーはデザイン専門、ライターはライティング専門、という「分業制」が当たり前の広告業界の中、取材・撮影・企画・デザイン・ライティングまですべて一人で行うという特殊な環境で10数年勤務。求人広告をメインに、Webサイト、パンフレット、名刺、ロゴデザインなど幅広いクリエイティブを担当する。2017年フリーランス『Rou’s』としての活動を開始(サイト)。企業サイトデザイン、採用コンサルティング、飲食店メニューデザイン、Webエントリ執筆などに節操なく首を突っ込み、「パンチのきいた新人」(安田佳生さん談)としてBFIにも参画。以降は事業ネーミングやブランディング、オウンドメディア構築などにも積極的に関わるように。酒好き、音楽好き、極真空手茶帯。サイケデリックトランスDJ KOTONOHA、インディーズ小説家 児玉郎/ROU KODAMAとしても活動中(2016年、『輪廻の月』で横溝正史ミステリ大賞最終審査ノミネート)。

お仕事のご相談、小説に関するご質問、ただちょっと話してみたい、という方は著者ページのフォームよりご連絡ください。

著者ページへ
Rou’s Web(ブログ・制作事例など)
ROU KODAMA作品 Kindleで発売中

感想・著者への質問はこちらから