【第4話】これからの採用が学べる小説『HR』:連載第25回(SCENE: 037〜038)


 SCENE:038


 

 

自動ドアを抜けると、その先に、さらにもう一つ自動ドアがあった。

なんだ? と思ううち背後で音がし、今入ってきた自動ドアが閉まるのが見えた。俺は妙な圧迫感を覚え始めた。まるで閉じ込められたような気持ちになってくる。

それは、目の前に現れたもう一つの自動ドアの脇にあったデジタルサイネージのせいでもある。そこには赤い字で、「未許可の方は立ち入りをご遠慮ください」というメッセージが表示されていたのだ。案内の男は、またそこにも置かれていた電話機に小走りに駆け寄り、何かを話している。

関係者によって案内されているわけだから、俺たちは「未許可の方」のはずがない。だが、だからといって、「お客様をお迎えする」という雰囲気でもないのだ。

何か、変だ。

そして俺は、ここに入る前に高橋に言われた言葉を思い出した。せいぜいショックを受けないようにね、僕ちゃん。

「あの……」

思わず高橋に耳打ちした。二回りも歳上とは思えない顔立ちの高橋が俺の方を向き、ドキリとする。

「なに」

「いや……あの、なにをあんなにビビってるんです、あの人」

高橋は、電話に向かってまたペコペコと頭を下げている男の背中を見やり、妙なことを言った。

「あなた、学生時代は運動部?」

「え? ……ええ、高校でサッカーをしてましたけど」

「厳しかった?」

「え? うーん、まあ、それなりには」

答えた俺に、高橋が初めて笑顔らしきものを見せた。そして微かに首をかしげるようにして、言った。

「そう。なら、話が早いわ」

どういう意味なのか聞こうとしたとき、男が受話器を置き、自動ドアが開いた。

そこに広がった風景に、俺は目を疑った。

さっきまでいたロビーとは、まるで違った雰囲気だったからだ。

壁は地味な灰色、そして床は白っぽいリノリウム。それぞれの部屋の扉の脇に、「会議室」とか「営業部」とかと書かれた白いプレートが設置されている。

ジャングルどころではない、まるで古い警察署のような、それは遊び心の一切が排除された、古臭い「事務所」だったのだ。

「……これは」

思わずつぶやいた俺を、高橋が悪そうな笑顔を浮かべつつ見る。

「じゃあ、こちらでお待ち下さい。用意ができたら、お呼びしますので」

男はすぐそばにあった待合スペースを示し、俺たちがそれに従うと、うつむきがちにさらに奥へと進んでいった。まるで昭和時代にタイムスリップしたようなこの空間では、彼のような今風のクリエイターっぽい服装はひどく浮いて見える。

「……どういうことですか、これ」

高橋と並んで座りながら、聞いた。

「なにが」

「全然違うじゃないですか、さっきまでの場所と」

「……本当に何も知らないのね」

高橋はそう言って、苛立った様子で首を振る。

「なんですか……それ」

「高木生命」

突然高橋が言った。

高木生命と言えば、大手4社には入らないが、それなりに名前は知られた、老舗の保険会社だ。

……だが、その高木生命が何だというのか。

「BAND JAPANの実質的なオーナー企業よ」

「は?」

「厳密に言えば、高木生命の子会社のひとつであるTNBインシュアランスが、BtoBのカタログ通販で実績のあったストファルと共同出資して立ち上げたのがBAND JAPAN。要するに、本国のBAND社から日本国内の販売権を買ったのね。もちろん投資比率はストファルより高木生命の方が圧倒的に多い。まあ、簡単に言えば、高木生命が新たに目をつけた投資先がBANDってこと」

いきなり固有名詞がドカドカと出てきて、理解が追いつかない。

「……ええと、それは、つまり……どういう」

「高木生命と言えば、このコンプライアンス時代に、新規顧客獲得のためには土下座も恫喝も、下手したら暴力だって辞さない、なんて噂されるゴリゴリの営業会社よ。イメージの悪さも手伝って本業の保険事業があまりうまくいっていないものだから、ストファルが持ってたシステムとネットワークを金で囲った上で、BANDに日本国内での販売代理店契約を迫ったんでしょうね」

「……あの、ちょっとよくわからないんですけど……」

俺が素直に言うと高橋は面倒臭そうに続ける。

「僕ちゃんにもわかるように言うなら……そうね、頭はあまりよくないけど喧嘩がめっぽう強い高木生命くんが、秀才だけど気弱なストファルくんを脅して自分の代わりにテストを受けさせて、その100点の答案用紙を持って好きな女の子BANDちゃんにアタックした、ってとこかしら」

妙な例えだが……わかりやすい。

つまりBAND JAPANというのは、BANDが自ら立ち上げた日本法人なのではなく、高木生命を中心とした日本企業がその権利を買っただけの、言わばフランチャイズ企業的なものなのか。

「ちなみに、高木生命は社長から幹部までほとんどが某体育会系大学の出身者で占められてる。要するに、先輩後輩の関係が社会人になっても続いているのよ。これがポイントの1つ目。そして、さっきも言ったけど、BAND JAPANの金を出しているのは高木生命。つまり最も強い発言権を持つオーナーはBANDでもストファルでもない。これがポイントの2つ目。さらに、いま私たちがいるこのオフィスの様子。驚くほど前時代的だと思っているんでしょう? ちなみに高木生命の社員というのは、流行の細身スーツは禁止。パッと見で会社がわかるくらい古臭い格好をしてるわ。これがポイントの3つ目。さあ、この3点から導き出される答えは何?」

俺は思わず視線を落とした。考える。

頭の中で様々なキーワードが回転する。高橋は何を言わんとしているのか。

……だが、答えはもう出ている気がした。出ていると言うか、既に見えている。

「……ここはBANDじゃなく、高木生命」

呟くように言うと、高橋が「いい子ね」と目を細めて笑った。

「まさに羊の皮をかぶったなんとやら、よ。BAND JAPANの役員は高木生命からの出向者ばかり。それもガチガチに学閥で固められた、ね。さっきまで通ってきたラウンジこそBAND風だけど、ひとつ中に入れば、そこはもう完全に高木生命なのよ。上司が言うなら腹も切らねばならないくらいに上下関係のきつい、旧態然とした、昭和的な企業」

俺はそして、先程通ってきたあの茶色い壁、そして、二重に作られた自動ドアのことを思い出す。そして、デジタルサイネージに表示された「未許可の方は立ち入りをご遠慮ください」というメッセージ。

「異例のことって……じゃあ普通なら、ここまで入ってこれないってことですか?」

あそこで男が言っていた言葉を思い出して言うと、高橋はさらに笑みを深くした。

「思ったよりバカじゃないのね、僕ちゃん。その通り、BANDとしての商談はすべて、さっき通ってきたふざけたジャングルの中でするのよ。それは、まとまった資本は欲しいがブランドイメージも重視したいBAND社と、BAND社の商品で金は稼ぎたいが自分たちの哲学や伝統を崩す気はない高木生命との、ある意味でウィンウィンの取り決めだった」

なるほど、と思う。

そういえば、さっき一緒にエレベーターから降りた、どう見てもBANDっぽくない真面目な雰囲気の男たち。彼らは高木生命からの出向者だったのだろうか。

「でも……じゃあどうして、僕らはここに通されてるんです?」

当然の疑問を口にすると、高橋はうんざりしたように首を振った。

「さあね。でも、さっきの彼があれだけ怯えてた理由はわかるわ」

「なんですか」

「今日はなんと、社長様が直々にお相手してくれるそうよ」

「社長!? BAND JAPANのですか」

「そう。BAND JAPANの社長で、でも実際の本籍は高木生命に置いたままの、おそらく数年で本社に戻って幹部にでもなる人よ。BAND社のブランドイメージを無視してこんなオフィスを作っちゃうよな社長だもの、高木生命の伝統を誰よりも重視する、面倒な相手だってことは間違いないわね。……さっきの彼にとっちゃ、誰よりも恐ろしい人なんじゃないかしら」

その時、奥の方から誰かが小走りに駆けてくるのがわかった。顔を上げると、まさにいま話題にしていたあの男が、青い顔をして近づいてくるところだった。

「どうぞ、準備ができましたので、社長室にご案内します」

SCENE:039につづく)

 


 

著者情報

児玉 達郎|Tatsuro Kodama

ROU KODAMAこと児玉達郎。愛知県出身。2004年、リクルート系の広告代理店に入社し、主に求人広告の制作マンとしてキャリアをスタート。デザイナーはデザイン専門、ライターはライティング専門、という「分業制」が当たり前の広告業界の中、取材・撮影・企画・デザイン・ライティングまですべて一人で行うという特殊な環境で10数年勤務。求人広告をメインに、Webサイト、パンフレット、名刺、ロゴデザインなど幅広いクリエイティブを担当する。2017年フリーランス『Rou’s』としての活動を開始(サイト)。企業サイトデザイン、採用コンサルティング、飲食店メニューデザイン、Webエントリ執筆などに節操なく首を突っ込み、「パンチのきいた新人」(安田佳生さん談)としてBFIにも参画。以降は事業ネーミングやブランディング、オウンドメディア構築などにも積極的に関わるように。酒好き、音楽好き、極真空手茶帯。サイケデリックトランスDJ KOTONOHA、インディーズ小説家 児玉郎/ROU KODAMAとしても活動中(2016年、『輪廻の月』で横溝正史ミステリ大賞最終審査ノミネート)。

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4件のコメントがあります

    1. ありがとうございます。話ごとに違ったテイストになるよう意識しています。

    1. 齊藤さんいつもありがとうございます。推理小説、確かにそんな雰囲気かもしれませんね。

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