HR 第4話『正しいこと、の連鎖』執筆:ROU KODAMA
SCENE:042
六本木で高橋と別れた俺は、溜池山王駅まで徒歩で移動し、そこから銀座線に乗った。
山手線や総武線といったJRに比べ、なんとなくコンパクトに感じる東京メトロの車両の中で、先ほどまでのアポイントを反芻する。高橋との待ち合わせ前、ビル1Fにあったスタバで感じていたミーハーな気持ちは既になかった。「ジャングル」の先に広がるあの無機質な空間。古めかしく仰々しいスーツを着た槙原社長。そして、その一挙手一投足にビクビクする柳原と、終始過剰なほどの笑顔を見せていた新人営業マンの正木。だが、それらの記憶を検証する間もなく、たった3〜4分で電車は新橋駅に到着してしまった。
どこかぼんやりした心地でHR特別室に戻ると、ソファで室長がいびきをかいていた。保科や高橋の姿はない。
しばらく考えて、オフィスの一番奥、先日保科がクーティーズの掲載履歴を調べていたiMacの前に座った。トラックパッドに触れると、一瞬遅れてディスプレイが立ち上がる。そこには既に、ビジネスパートナーである求人メディア版元のデータベースウインドウが開かれていた。
社名やSコード(クライアントごとに割り振られた番号)を入れて検索すれば、これまでの掲載実績がすべて閲覧できる。他代理店が受注した契約についても一目瞭然だ。連絡が取れなくなった顧客をデータベースで調べてみたら、いつの間にか他代理店に「抜かれて」いた、という話もよく聞く。逆に言えば、他社の管理Sを「抜いた」場合、そのことはすぐに相手側にも知れる。
俺たち営業マンにとって、このデータベースは欠かせない。新たなリストを渡されたときも、落としたい企業ができたときも、俺たちはコーポレートサイトをググるよりも前にこのデータベースを叩く。所在地や事業カテゴリといった基本情報から、代表者の名前、採用予算の規模、そして募集している職種まで、これを使えばすぐにわかる。
高橋に調べろと言われたのはあの正木という男についてだったが、その前にまず、BAND JAPANをこのシステムで調べないと落ち着かない。
「バンド……ジャパン」
社名を打ち込んでエンターを押すと、数秒でこれまでの掲載実績が一覧表示された。その数、十数件。会社が立ち上がってまだ2年足らずということを差し引いても、掲載頻度は高くない。もっとも、POはオンライン販売がメインだし、製造は海外で行われている、つまり日本国内での製造スタッフ募集が必要ないことを思えば、特に不自然ということもない。
受注会社を見ていくと、様々な代理店と契約しており、過去に3度、AAの名が登場している。つまりAAとしてはBAND JAPANと3度の契約を交わしているということだ。いずれも約50万円で4週間掲載。備考欄には新規窓口受注特典である「掲延」、すなわち掲載延長の文字がある。つまり、2週分の金額で4週間掲載できるオプションが適用されているということだ。これも、想定内。
俺はAA受注の項目にあるテキストリンクをクリックし、その時に掲載された原稿データを表示させた。
見慣れたフォーマット。だが、募集職種は「社内コーディネーター」というよくわからないものだった。仕事内容欄を確認すると、総務部所属の何でも屋のような仕事らしい。「来社されたお客様のご案内」などとも書かれている。もしかしたら、さっき俺と高橋を迎えた柳原は、この職種だったのかもしれない。
一通り原稿に目を通すと、俺は版元データベースのウインドウを最小化し、今度はAAのグループウェアを立ち上げた。さきほどまでのシステムと違い、こちらはAA社内限のものだ。営業マンから事務方まですべての人間のスケジュールが参照できるほか、組織図や申請書といった各書類もDLできる。さらにこちらのシステムなら、各受注の担当営業名と所属部署なども調べることができるのだ。
個人IDとパスワードを入力し、ログインする。契約履歴のデータベースに行き、やはりバンドジャパンの社名を入れて検索ボタンをクリックする。
「ええと……大家って……ああ」
担当営業の欄にあるのは、名前は知っているがほとんど話したことのない営業二部の男だった。確か俺より2年前の新卒だ。どこか陰気な雰囲気の小男で、成績は中の中。俺は特に躊躇することもなく、そばにあった電話で、AA本社の営業二部への短縮ボタンを押した。
「お電話ありがとうございます、アドテック・アドヴァンスです」
「お疲れ様です。営業一部の村本ですが」
「あ……はい、お疲れ様です」
電話の向こうの女性は、どこか緊張した風に答えた。営業一部の人間から連絡が入ることなどあまりないのだろう。
「営業の大家さん、いらっしゃいますか」
「あ、はい。お待ち下さい」
保留の音楽が流れ始めたが、ワンフレーズもいかないうちに大家が出た。
「大家です」
「あ……どうも、営業一部の村本です」
「……はい。何か」
その微妙な間に、営業二部の営業一部に対する複雑な感情が読み取れた。自分たちより格上の部署に対する憧れと妬み。それも、大家からすれば俺は2期下の後輩なのだ。だが、顧客のランクも週売上目標も俺の方が高い。
「ちょっとお聞きしたいことがあって。BAND JAPANのことなんですけど」
「ああ……もうそこ、担当外れてるんで」
「ええ、知ってます」
「は?」
俺はどう説明するか迷った。だが、この状況を隠したまま話すのも無理だ。
「自分いま、BAND JAPANの移管先の部署で研修中なんですよ。で、ちょっと情報収集を頼まれたものですから」
「ああ……HRなんとか室」
大家の声に、どこかバカにするような色が混じった。一瞬苛立ちを覚えたが、いちいちつっかかるのも面倒だと、話を進める。
「そもそも、なぜ二部からこっちに移管されたんです?」
「さあ……そんなこと俺にはわからない」
「別にトラブルがあったとか、そういうことじゃないんですよね」
営業部からどうやってHR特別室にクライアントが流れてくるのかはよくわからない。だが、保科のクーティーズ然り、室長の中澤工業然り、何らかの問題を抱えたSが移管されている気がする。
「掲載実績見てないのか? ここは代理店使い捨てのSなんだよ」
「ああ……見ました。数度に一回ってハイペースで代理店変えてますね」
「担当者レベルじゃどうにもならない。まさに鶴の一声さ。別に俺がヘマしたわけじゃない」
「新規オプション狙いなんですね」
俺はさっきデータベースで見た「掲延」の文字を思い浮かべながら言う。同媒体の同サイズの場合、代理店を変えても基本的に値段は同じだ。だが、代理店としてはこういう大きな企業との契約が欲しいため、版元が許す範囲の<サービス>を提供する。それは掲載期間の延長だったり、オプション商品の無料追加だったりする。版元の方も、そうやって代理店同士の競争を煽ったほうが業界が活性化すると考えているのだろう、「チャレンジャー」側の代理店に対して甘いジャッジを下すことが多いのだ。結果、クライアント側から見れば、多少の手間をかけても代理店を次々変えた方が得をする。
「それはわかりますけど……だからってAA社内で担当部署を変える理由にはなりませんよね」
「だから……」
大家は苛立ちを隠そうとせず言った。
「わからねえって言ってんだろ。今期になったら俺の担当じゃなくなってた。そんだけの話だ。理由が知りたいなら上に掛け合ってくれ」