このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
好奇心と狂気 なんでそんなことしようとしたのか?
この数ヶ月、ずっと肩が痛いんですよね。
四十肩ですか?って聞かれても、「違います」って言いたくなるのはなぜなんでしょうかね。
症状からしたら明らかにそうだったりするんですけどね・・・
加齢を認めたくない、しょうもないプライドを持って生きている自分に気づきますよね・・・(涙)
さて、そんな僕ですから、肩の痛みは「格闘技の練習が原因だった」という男らしい理由にしています。
つまり、「加齢ではないよ」と主張しているわけです。
まぁ、きっかけは実際そうで、日が経つにつれて症状も変化してきて・・・
一時は四十肩の症状のときもあって、腕が上がりませんでした。
ゴムチューブなど使って少しずつほぐしていたら、腕は上がるようになったのですが、四十肩とは違う痛みが取れずに困っていました。
そこで、格闘技の先輩(鍼灸師)に相談して、鍼を打ってもらうことに・・・
同じ道場ですし、格闘技やっている人の怪我や身体の不調はよく知っているだろうし、ってことで。
実際、しっかりとマッサージしてくださりながら、身体の状況をチェックしてくださって、安心して身を委ねることができました。
でも・・・
皆さん、鍼って怖くないですか?
僕、注射とかすんごい嫌いなんです。
痛いって言っても知れてるんですけど、金属が身体の中に入ってくるって超怖いですよね。
鍼なんてそれを何本も、場合によっては深々とぶっ刺すわけですから。
僕は怖くて目をつぶってましたよ。
そこで、素朴な疑問が浮かんできたんですよね・・・
なんで身体に鍼を刺してみようって思ったんだろう?
・・・って。
でね、先輩に聞いてみたんです。
そしたら・・・
えー、でも、刺してみたくなりませんw
・・・
・・・
肩が痛いなぁ・・・よし!鍼刺そう!
いやいや、ならない、絶対にならない。
少なくとも僕はならない。
でも、先輩のように・・・
うーん、この皮膚の向こう側、筋肉の中あたりをツンツンできたら気持ちよさそうかも・・・
よし、ちょっと刺してみよう!
・・・という奇特な発想を持って実行した人が大昔にいたんでしょうね。
今でこそツボとかの情報が整理されてますけど、当時は自分たちでプスプス刺して効果を確認していったんでしょう。
恐ろしい好奇心ですね。
あと、そこまでしたくなるほど、身体が痛かったのか!?って思いますね。
そこで、僕、ふとギモンに思ったんです。
昔の鍼って太かったんじゃない?・・・って。
なんか、怖いよね。
ちなみに、日本鍼にも色んな種類があるようですが、通常は直径0.12mmから0.18mm程度のものを使うのだとか。
髪の毛ほどと言われることがありますが、髪の毛よりは太いですね。
昔となると、技術的にこれより細い鍼を作るのって、さすがに難しいと思うんですよね。
調べてると・・・
鍼の起源みたいなのも諸説あるなかで、鍼についての考察を見つけました。
それによると、中国では絹糸や織物が発展してて(シルクロードですね)、細い鍼を作れたのではないか?ってことでした。なるほど。
また、国立科学博物館で展示されていた江戸時代に使われていたという鍼を見てきた鍼灸師さんのブログによると、「鍼の太さは今とさほど変わらない印象だった」とのことでした。
・・・ふーん。
・・・って思うとともに、なぜここ(鍼の直径)にイノベーションが起こらないのか?とギモンが湧いてきますよね。
多分ですが、そもそも鍼を刺されたときの痛みは大したことないんで、「まぁ、別にこれでいいじゃない」ってなったのかもしれません。
そもそも鍼が好きな人って、「あれが良いんだよ」とかよくわからないこと言いますから、無痛じゃ駄目なんでしょうね、きっと。
ただ、鍼の先端が何かに触れた瞬間、鈍痛だったり独特の感覚が出てきますよね。
あれ、苦手です。
鍼大好きさんたちが「それが良いんだよ」って言うやつですw
鍼灸師の先輩曰く、「身体の(悪いところの)どっかにあるタピオカとかグミを探す感じ」と嬉しそうにおっしゃっていました。
僕からしたら狂気の沙汰と思える、人体に鍼を刺すという行為・・・
でも、これと同じように、今では割と当たり前になっていることでも、よく考えてみたら異常な行為ってありますよね?
例えば・・・
「ふぐを食べる」ってやつ。
死ぬ人たくさん出たろうに、よく何度も食べてたな、ってね。
あと、「なまこ」みたいなグロテスクで食べられそうにないものをよく食べたな、とか。
初めて食べたやつすごいな、って。
くさやを作る「くさや液」とか、一説には塩干しを作る塩水を捨てずに繰り返し使い続けたもの・・・だったそうで、おいおいそんなのよく使おうと思ったな(汗)、とか。
食べ物は身近だからイメージしやすいところですよね。
でも、飛行機とか失敗を重ねて、現在に至るわけで、文明の利器を生み出す過程においても一種の狂気というのは必要なのかもしれませんね。
あと、電気風呂を作った人って、あのビリビリが気持ちいいって思ったんでしょうね、きっと。
フィリピンの銭湯で220ボルトの電圧が漏電するシャワーに感電して死にかけた僕としては絶対好きになれません・・・
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。