このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「大切にしている物(物体)」
あるセミナーに参加する際に、「今、ビジネスないし人生において大切にしている物(物体)」を持ってくるように言われました。
皆さん、大切にしている物(物体)ってありますか?
僕は物欲はありますが、先立つものがいつも不足しておりまして・・・家はもちろん、車すら持っていませんよ(苦笑)
車の代わりに自転車が僕の生活には欠かせないアイテムになっているのですが、果たして自転車は「ビジネスないし人生において大切にしている物」なのか?・・・ですよね。
まぁ、大切ですが、10万円くらいのロードバイクのエントリー機で、購入して5年くらい経ちますし、そろそろ買い替えても良いんじゃぁ、って思うくらいの経年がありますからね。
その自転車がなくてもビジネスでは困りませんし、プライベートでも少し不便になるだけで、新しいのを買えば解決しちゃいます。
そんな風に考えてみたら、大切にしている物(物体)なんて、案外無いんですよ。
仮に僕が所有していない物だとしても、パッと浮かぶものはお金で買える物ばかりです。
なら、お金では買えない物で、自分にとって価値あるもの、と考えてみたらどうでしょう?
僕にとって、それは、趣味でやっている格闘技(空道)の「黒帯」かもしれません。
お金があっても手に入りませんし、創始者の初代塾長がお亡くなりになる直前に審査を受けて、合格したので免状には「東孝」と塾長のお名前が入っています。さみしいですが、もう二度と手に入れることはできません。
パーソナルブランディングの一貫として、格闘技を始め、一つの目安として「黒帯(Black Belt)」の取得を目指し、コツコツやってきて、その目標を達成した証でもあるので僕にとっては価値あるものです。
コロナの時期に昇段審査を受けましたが、施設が閉館していたり、スパーリングも禁止されていた時期で、稽古もまともにできない環境でした。
会社や公園で自主練していたことを思い出します。
こんな風に、一本の帯に、色んな「思い入れ」が詰まっていて、自分にとっては特別な物になっているわけです。
さらに、「決めたらやる(続ける)」というのは、ビジネスないし人生においても大切なことだと思っていますから、そういう点でも継続の結果取得できた「黒帯」は、このお題に合致する物なのかもしれません。
「今、ビジネスないし人生において大切にしている物(物体)を持ってきてください」なんて言われると、ここから何を読み取ろうとしているのか?って思っちゃいますよねぇ。(猜疑心の塊)
って言うか、そもそも無いんですよねぇ、そんな物(物体)(苦笑)
皆さん、あります?
家族や健康、会社は物(物体)じゃないですしね。
大切な写真や手紙があったとしても、今の時代、データで管理していますからね。
ちなみに、僕に欠かせないものはスマホかな、完全に依存症なので(汗)
触れていないと落ち着きません・・・
(もしかして、大切な物ってスマホなのかしら・・・(汗))
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。