その238「相手の人生を左右する審判って絶対にやりたくないな、と思った話」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「相手の人生を左右する審判って絶対にやりたくないな、と思った話」

 

人生って、納得できないことばっかりですよ。
そう思いません?

先日、息子が格闘技(空道)の全国大会へ出場することになっていたので、一緒に東京まで行ってきたんです。
10キロほど体重の重い相手と戦って、体重におされながらも相手の有効打はもらわず、攻撃回数、有効打共に上回り、最後に金的を蹴られたあげく、“なぜか”負けました。
“なぜか”というのは、親から見た贔屓目もありますが、「負けた理由が全くわからない」ということなんですけどね。
4人いる副審の内3人が相手に旗を上げていましたから、正直、「はぁ!?」って我が目を疑いました。
動画を何度か見返して、「なぜ負けたのかわからない…」と涙する息子に、僕も「全くわからんな…」としか言えず、とにかく改善すべき点が見つからないのが辛いところです。
唯一分かりやすい改善方法は、審判が判断を迷うまでもなく、ぶっ倒せばいいんですけどね。

こんな風に何事にも「結果」はついて回ります。
そして、そのすべてが納得できるものばかりとは限りません。
想定外の結果になった場合、それが良い方でも悪い方でも、その理由はしっかりとつかんでおきたいところですよね。
悪ければ改善できますし、良ければ再現できますから。

仕事でもコンペで失注した場合、基本的にその理由は聞かない限りは教えてはくれません。
弊社ではできる限りその理由を教えていただくようにしています。
それが、「大変言い辛いのですが・・・、実は社長の知り合いの会社が参加していたので・・・」ってこともあるわけです。
とにかく、「あぁ、そういうことか」と、少しでもスッキリしたいわけです。
「なんとなく好き/嫌い」でも別によくて、それなら「結局、なんとなくで決めているんだ」ってことはわかりますしね。
ちなみに、弊社でコンペを行う場合や、お客様に代わってお手伝いする場合、選定プロセスや評価基準などは結果と共にしっかり伝えるようにしています。
その日、そのときの感情で評価が変わりそうな、「なんとなく」評価も極力避けています。

ところで、前述の試合の判定について、SNSに投稿したところ、ある支部長から「理詰めでしっかりと判定の理由(勝ち負けの理由)を説明できないと審判とは言えない」とコメントをいただきました。
仕事でもそうですが、良い悪いの理由がわかると本当に助かりますよね。
上司として、先輩として、他者を評価をする立場であれば、その判断基準、理由などについて、論理的に説明する責任がありますね。
まぁ、その一方で、人間って感情の生き物ですからね。
論理的に伝えるだけでは、上手く伝わらないのよぉ・・・面倒くさい生き物だね(苦笑)

ちなみに、試合翌日、動画を見返した息子は、「クソ審判がー!!」と泣き叫んでいました。
オリンピック出場がかかっているような、その後の人生を左右する試合もあるわけですから、審判って絶対にやりたくないですね。
審判と上司に共通点があると考えると、管理職になりたくない人の気持ちもわかりますね・・・

 

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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