その241「成功するために、勘違いしてもらうことが大事!?」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「成功するために、勘違いしてもらうことが大事!?」

 

この人、仕事できそう。
この人、◯◯に詳しそう。
この人、モテそう。

他人を見て、そんな風に感じることってありますよね。
実際に、仕事ができるのか!?、◯◯に詳しいのか!?、モテるのか!?はわかりませんので、こちらが勝手に期待しているわけです。
そう感じさせるような特徴的な印象があって、その印象に引きづられてこんな風に評価してしまっている、いわゆる「ハロー効果」というやつですよね。

冒頭のような割とポジティブな誤解の類って、相手に持ってもらった方が自分にとって都合が良くないでしょうか?
例えば、「この人、仕事できそう」と印象を持ってもらえたら、仕事の相談が入ってくるかもしれません。

できもしないことを、できそうに思わせることで大きなチャンスが回ってくるということです。
もし、これを戦略的に使えたらすごいですよね。
こういうのを、『錯覚資産』というらしいですね。
資産(能力や経験、知識などの無形資産を含む)を持っていると錯覚させる/錯覚してしまう・・・
なるほど、うまい表現ですよね。

知り合いに、顔に色とりどりのペイントをするような、ド派手な格好をしたアーティストがいますが、彼を見たほとんどの人は「只者ではない」「普通ではない」と感じるでしょう。
そして、アーティストと聞けば、「あぁ、なるほど」と思いますし、作品を見ていなくても不思議なことに「なんだかすごいモノを創りそう」「他とは違ったアイデアを持っていそう」と思ってしまいます。
彼のことをよく知らないし、作品を見ていないのに、いつの間にか勝手に期待しているわけです。
こういうの、上手く活用すれば、恐ろしい効果が出そうですよ。
『錯覚資産』を意識して使ったかどうかわかりませんが、彼はフランスに拠点を置き、彼の作品とコラボした有名な施設(ホテルや寺社仏閣など)がいくつもあります。
最初は錯覚だったものが、いつの間にかそれは錯覚ではない、しっかりとした資産(実力)になってきたのかもしれません。
では、もし、彼がごく普通のビジュアルだったら?こんな人生になったか!?
きっと、違っていたと思うんです。

そう考えると、「この人、◯◯」とまずは、勘違いしてもらうことって、チャンスを掴み取るために大事じゃないですか?
錯覚のまま終わってしまったら、詐欺みたいなものですが・・・汗
さて、皆さん、誰に、どんな勘違いを与えていきたいですか?

 

 

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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