その249「フランスから見た、ちょっとズレてる日本」

このコンテンツについて

なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「フランスから見た、ちょっとズレてる日本」

 

先日、パリに行っていました。
大昔、「花の都パリ」なんて言葉がありましたが、今も言うのでしょうか?
僕が行ったのは冬だったので、少なくとも花のイメージは一切ありませんでしたが・・・

円安、物価高ということもあってか、パリではあらゆるものが高く感じますねぇ。
特に飲食店は(日本が安いということもありますが)ラーメン一杯3,000円近い世界です。
日本の飲食店の中には「インバウンド価格で値段を高く設定しているお店がある!けしからん!」みたいに言われるお店もありますが、「まぁ、そうなるよね…」って思っちゃいますよ。
だって、海外から来た観光客からしたら、それが普通の価格ですから。

パリにもリーズナブルと言われるレストランがあって、そこは観光客にも人気ですが、フランス人にも大人気のお店でした。
ものすごい席数があるお店ですが、あまりの人気でずっと満席状態。
なので、基本的に相席です(汗)
僕は二度行きましたが、最初は老夫婦と相席。そして、二度目は二人がけの席でご婦人と相席でした。
フランス人だってアジア人のピンク髪の得体のしれないおっさんとの相席なんて歓迎はしないでしょうが、「安いからしょうがないよね」という感じです。
まぁ、安いとは言え、一皿頼むと2,000円近くはしますから、日本のランチ相場からするとかなり贅沢ですけどね。

 

二人がけ席では、相席になったご婦人と少し話しました。
だって、小さなテーブルを挟んで眼の前にいらっしゃいますからね。何も話さないって、かなり気まずいですから・・・
そのご婦人はパリに住んでいらっしゃるとのことだったので、「生活費は高くないですか?」と聞いてみたところ、「もともとカリフォルニアにいたから変わらない」って言ってました(苦笑)
日本が遥か彼方においていかれている感が半端ないですよ(涙)

ところで、日本の不思議なところはデジタル化したのに、なぜかまだそこに人が居ることです。
例えば、海外のLCCのカウンターなんて、ほとんど人がいませんからね。荷物タグを出して、付けて、バーコード読み込んで、預けるまでを全部自分でやります。
美術館でも事前のオンライン予約でデジタルチケットを取得するのが一般的になっているので、どんなに行列ができていてもチケットカウンターには一人しかいませんからね。
デジタル化によって人が介在するフローが無くなり、「じゃあ、そこに人は要らないよね」ってなったわけですね。
一方、日本の入国審査、税関検査場はデジタル化してきたのに、なぜあんなに人が居るのでしょうか?(苦笑)
「禁止物の持ち込みしていませんか」とかが書かれたA3の紙を持ってウロウロしていたりね・・・

不要なものはとことん無くしていく。
そのうえで、今度は「無駄なこと」が贅沢になっていくわけです。
そこに価値が生まれ、価格が上がったりね。
でも、A3の紙を持ってウロウロする人が何人居ても価値は生まれませんよ。そこじゃないよ、みたいな(涙)

ちなみに、前述の相席したご婦人との会話は、ランチにとっては完全に「無駄なこと」なのかもしれません。
ところが、僕にとっては大変価値ある時間となりました。
日本人の感覚ではちょっと贅沢な価格のランチになりましたが、その満足度は非常に高かったです。

 

 

著者の他の記事を見る

著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

感想・著者への質問はこちらから