このコラムについて
経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか? なになに、忙しくてそれどころじゃない? おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者であり、映画専門学校の元講師であるコピーライター。ビジネスと映画を見つめ続けてきた映画人が、不定期月一回くらいの更新します。読むロードショーでお愉しみください。
『小説家の映画』に学ぶ、本業以外に好きなことを見つけるメリット
経営者のための映画講座 第91作
『小説家の映画』
韓国の映画監督ホン・サンスは、エリック・ロメールのようだと言われたり、小津安二郎のようだと言われたり、ゴダールのようだと言われたりしながら映画と撮り続け、いまやホン・サンスでしかあり得ない独自の映画を量産している。毎年のように数本の映画を撮り、それがことごとく世界の映画祭で賞を獲得し、世界中で公開され、日本でも多数のファンがその作品を待ちわびている。
『小説家の映画』は2022年に制作された作品。長く小説を出版していない女性小説家のジュニが、偶然に人気女優ギルスと出会うところから物語は動きはじめる。ギルスも第一線を退いているのだが、偶然で合い話をするうちに二人は意気投合する。そして、ジュニが「映画を撮りたいの。あなたを主演に」と提案する。
ジュニを演じるのは韓国のベテラン、イ・ヘヨン。ギルスを演じるのはホン・サンスの実際のパートナーであもあるキム・ミニだ。
観客は「小説家が映画を撮りたいといって、撮れるものなのか」と疑問を抱きつつ成り行きを見守る。当然、どんなふうに映画を撮るのだろうと見ているのだが、物語はいきなり試写のシーンになる。つまり、映画は出来上がっていて、それをキム・ミニが自分で見に来るという場面になるのだ。
映画のなかで、小説家の撮った映画が上映される。映画内映画である。その映画は技術的にはとてもチープで、観客は「なんだこりゃ」と苦笑しつつ見始める。しかし、主観のカメラが男で、どうやらそれがホン・サンスらしいとみんなが気づく。と同時に、主観のカメラに写されたキム・ミニが雑草の花束を作り、それを手に結婚行進曲をハミングし始めるのだ。
観客はみんなキム・ミニとホン・サンスが不倫関係のままパートナーとして共に暮らし、共に映画を撮っていることを知っている。そのキム・ミニがホン・サンスらしき男が撮る画面のなかで、とても幸せそうに結婚式ごっこをしているのだ。これはもうホン・サンスからのラブレターに他ならない。
この映画内の映画が良かったとか、良くなかったとかいう評価は、ストーリーには関係ない。でも、書けなくなった小説家が思いついた「映画を撮ろう」という一言が、明らかに小説家と女優の日常に変化を与え、それをみた観客に奇妙な感動を与えるのである。
本業が頭打ちになったり、本業に興味がなくなったときに、経営者が正直に路線変更をして成功した事例を私たちは知っている。逆に、興味をなくしたのに惰性で突き進んで失敗した例も知っている。仮に失敗するにしても、やりたいことをやったほうがいい。そんなときに、長年やってきた趣味を大切にしている人は強いのだと思う。
やりたくないことはやっちゃいけない。やりたくないことをやるくらいなら、それを休んで、なにか別に打ち込めることに素直に気持ちを向けるほうがいいのかもしれない。そんなことをこの映画はキム・ミニの穢れのない微笑みで教えてくれているような気がする。
【作品データ】
小説家の映画
2022年製作
92分
監督・脚本/ホン・サンス
出演/イ・ヘヨン、キム・ミニ、ソ・ヨンファ、クォン・ヘヒョ、チョ・ユニ
音楽/ホン・サンス
撮影/ホン・サンス
編集/ホン・サンス
著者について
植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。映画学校で長年、講師を務め、映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクター。