泉一也の『日本人の取扱説明書』第146回「かぶき者の国」
著者:泉一也
日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。
伝統芸能「歌舞伎」はどこからきたのか。歌舞伎といえば厳(いか)つい顔。見得を切る、睨みというが、現代用語でいえばガンを飛ばす、ガンを垂れるである。関西ではメンチ切るとかメンタ切るという。
歌舞伎ではこの厳つさに「美しさ」がある。厳つさの中にある美しさを凝縮したのが歌舞伎といっていいだろう。その同じような美しさを不良、ツッパリに感じ、憧れる中坊時代。剃り込みにリーゼント、ボンタンを履いてガンを飛ばすのがカッコいい。
「われ、誰にメンチきっとんねん、ワシのこと誰かしらんのか、しばくどーワレ!」と河内のおっさんの唄(byミス花子)のような歌詞的な言葉が生まれる。これは俗な美しさであるが、伝統芸能になると「知らざあ、言ってきかせやしょう」と上品な厳つさになる。
歌舞伎はもともと傾奇者からきている。奇人のさらにいっちゃった人である。同一性の高い日本では、ちょっと変わった人はすぐに変人になるが、そこを極めていくと、かぶき者となる。最初は乱暴狼藉に走る愚連隊のような集団だったのが、そこにあった美学が極まって、任侠の世界と歌舞伎の世界が生まれた。
今の日本はすっかりかぶき者がいなくなり、厳つい美しさが日常から消えている。歌舞伎、映画、漫画の世界に残っているが、日常にはない。かぶきまくっていたトラック野郎が姿を消したのがその象徴だろう。あってもちょい悪オヤジや、格闘技にローランド的な夜の街に残るぐらいである。
厳つい美しさが日常から消えるとどうなるか。答えはカッコ良さが消える。カッコいいからこの人について行こう。憧れて何かにチャレンジしよう、そんなエネルギーがなくなるのだ。同一性の高い日本では、奇人を極めていければ、ニッチになりビジネスもやりやすくなるはずなのに、標準化された会社員や公務員や資格職を目指す。そこはカッコよくないので、人はついてこないし、チャレンジのない世界となる。人氣がないから景氣も悪い。
そんな偉そうなことぬかしよる泉さん自身はどないやねん、とガン垂れてくる人もいないので、自分で言うが、全然かぶき者ではない。奇人でも変人でもなく、標準化された凡人である。親や先生の言うことをちゃんと聞いて、大学も出ましたよ。なので、「うそつくなや、ちょっとジャンプせえや」などと言わないで欲しい。ジャラジャラと音はしませんので。もちろん、どこにもタツゥーははいってませんよ。
と、安心してもらわないと生きていけない社会はどうであろう。平和で安定しているが、生きるエネルギーは弱い。生命力が溢れてこないので、新しい命も生まれない。少子化になり景氣も悪くなり、次第に廃れていく。そういった運命にある日本。
戦国時代が終わって徳川の世。平和な時代になってよかったよかったと言っていたが、素行の悪かったエネルギー溢れる雑兵たちが、こんな平和の世はおもんない、と傾奇者になった。歌舞伎を見ながら、そんな生きる力に溢れた雑兵たちのことを思い出して欲しい。
歌舞伎に厳つい美しさをちょっとでも感じたんなら
思いっきりかぶいてみるんじゃいワレ。
てやんでべら坊めやんけ。
泉 一也
(株)場活堂 代表取締役。
1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。
「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。