「ハッテンボールを、投げる。」vol.1 執筆/伊藤英紀
「人間が生きるために絶対に必要なものは何?」この問いに、だいたいの人は、空気、水、食べ物と答えるが、往々にしてぬけ落ちるものがありますね。それは何か?「言葉」です。
人間は言葉の動物。犬はプログラムされた本能で、犬たりえていますが、人間から言葉を奪えば、本能が壊れている人間は、生命さえ維持できない。自分という人間や社会を構築することは、もちろん不可能です。
というわけで、会社経営においても、理念や事業ビジョンという言葉を持たなければ、会社の生命感や躍動感はとても貧弱になる。当然です。思いや愛情、つまり思念や情念がうっすい家庭、それは砂漠じゃないですか。理念やビジョンという言葉を持たない会社もおなじく、ただ無味乾燥な風が吹くばかりです。
10年ほど前から、「経営理念」を大切にする中小企業経営者が増えてきました。しかし理念という言葉さえあれば、社員が生き生きとして企業活動が元気になるかというと、ことはそう簡単ではありません。人間は言葉の動物ですが、そこには次のような意味も含まれます。「人間は、言葉によっては、活力や希望を失う動物である。」
「経営理念によって、会社や経営者の都合にあうように、社員をコントロールしよう。」コーポレイト・ガバナンスを隠れ蓑に、そんなさもしい考えをしていては、経営理念は有効に働きません。せっかくお金をかけてつくったのに、ひたすらさぼるだけ。いや、むしろ、社員のやる気や喜びを奪い、企業の活動エネルギーは減退するだけです。
言葉は人間の創造性を高める栄養素にもなりますが、ときに生産的な動きを阻む牢獄にもなるし、思考を停止させる鎖にもなる。「創造」を生みだす言葉、「退行や破壊」へと落ちていく言葉。そこには、どんな違いがあるのか?キーワードは、「内発性」だと思います。
「内発性」とは、言われたことを自ら進んでやる「自主性」でもなく、やらねばならんと思ったことを進んでやる「主体性」とも違う。「それ、やりたいなあ」「ムズムズ、わくわくする」だからやる。それが内発性です。自分の中から湧き出てくる衝動ですね。
「経営理念は無力」なのです。内発性を喚起する力がないのならば。ときに牢獄になるのです。強制して型にはめて操ろうとする意志がにじめば。「経営理念の力」を信じるという経営者は、そこをわかって、社員の内発性を引き出す言葉づくりと発信、環境整備に、小手先ではなく、それこそ「経営者の内発の思いや考え」を大切に、内発的に取り組まなければなりません。
ビジネスにおいても、webマーケティングや価格設定、収益計画などの施策に溺れたり、利益と効率の皮算用ばかりが目的化してしまえば、まず、うまくいかない。当たり前ですが、潜在顧客の「それ欲しいなあ」「あるとうれしいなあ」「困りごとがなくなるなあ」「暮らしが楽しくなりそうだ」という内発的購買欲、つまり喜び創造に、どう取り組むか。そこが、本質であり本丸だからです。
(次回につづく)
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