「民主主義は大事だ」と大勢が言っていることをオウム返しで言っても、そこに自分でなぜなのかとツッコミを入れてよくよく考えていないと、その意見はもろい。
たとえば、「国会議事堂前でデモしながら、民主主義は大事だ!と叫んでいても、日本はよくならないよ。モリカケなんて小さいこと。北朝鮮やシリアという大問題の国会審議を遅らせるだけの哀れな愚民の行為だ」という反論がきたら、シュンと押し黙ってしまったりする。
でも、民主主義で大事なことはなんだ?と自分なりにツッコミを入れて考えていれば、「国民が選挙で選んだ代表が動かす国会が、行政機関の改ざん文書でとことんバカにされ踏みにじられたんだよ。国権の最高機関がだよ。こんなの近代国家じゃないよ。明治時代から150年の先人たちの努力が水の泡になる。行政が国民を愚弄しているんだから、行政の長である安倍政権に責任を問うのは当然。国会前デモがちいさなことなんて、あなたは国権をどう思ってるの?教えてよ。モリカケの奥には近代国家日本の存亡がかかっているんだけど」と、相手に問い返すことができる。
ちょっと例文が腹の立つ問題だったので、熱が入り過ぎましたが、まあ、もっと軽くてもなんらか問い返すことができれば、「オウム返しの受け売りじゃん」と軽く鼻で笑われることもない。
ツッコミと応答を繰り返して、自分なりに熟成させていない『受け売り』は、ダメダメなのである。しかし反面、人類や尊敬する隣人の知的資産から学び、『受け売り』もできないようでは、からっぽのバカで終わる、とも言えるのだ。
結論としては、どんどん受け売りできるくらい、優れた人物からの学びを大事にしよう!でないと原始人になっちゃうぞ!ということだ。ただし、ツッコミと応答を繰り返して、受け売りを熟成させ、自分なりの考えへと昇華させなきゃ、からっぽ人間になっちゃうぞ!と言いたいのであります。
ツッコミと応答。これってつまり、それが自分の内部であろうと、他者とのやりとりであろうと、『議論や対話』ということではないか。空気にひっぱられて、なんも考えず、誰かにまかせきって、うまくいかないと人のせいにする人間には、議論や対話はできませんね。
「受け売りはアホだ」と、深く考えずに受け売りで決めつけていると、それこそ受け売り愚民になってしまうのではないか、というちょっとややこしい話でした。また、来週!
2件のコメントがあります
「はい」と返事するのがめっちゃ早い人。「いいえ」と決めるのもめっちゃ早い人。本読むのがめっちゃ早いと自慢する人。それは自分ツッコミしてない人。
本読みメッチャ遅い。理解したいのに理解できない箇所があると、ツッコミを入れるために関連本を読みます。どうでもいいなと思った本は捨てます。