近代化前の日本は、口腔内から入る雑菌が大病を生むこととか、歯の欠落、歯周病、疼痛が生活の質を劣悪にし、人々の生命力を奪ってしまうこととか、その因果関係があまりよくわからないわけです。
歯科医術なんて初めて見聞きするわけで、最初は“大丈夫か?”って感じだったでしょう。
1914年(大正3年)に現在のライオン㈱が、現東京歯科大学の指導にもとづき、現代の歯ブラシの元祖「萬歳歯刷子」を発売したそうですから、歯ブラシの大衆化はまだ先のこと。
4代目によると、初代創業者も2代目も、長い行列をつくる地域住民たちを富める人も貧しい人も分け隔てなく、寸暇を惜しんで診療したそうです。歯医者が圧倒的に少ないのですから、行列もできますよね。
内閣府は、この時代の人口増加の要因の一つとして“保健・医療等の公衆衛生水準の向上”をあげています。衛生不良による死亡率が下がったのです。
土着の悪習慣を廃し、西欧の衛生思想と近代医学というサイエンスで啓蒙しながら、地域住民の健康と命を育んでいく。「歯の力は生きる力。歯と口を清潔にね。歯が丈夫な家族は、命が丈夫ですよ」と知識のない地域住民に根気よく語りかけていく。
創業者は歯科治療とともに、当時はまだ誰も知らない衛生思想という「新しい考え方」を人々に理解してもらうために、“思想啓蒙”に力を注いだのでしょう。衛生思想で地域の近代化に尽力したと考えられます。
この時代、大正デモクラシーという民衆運動がありましたが、創業者は歯科学の民衆化に寄与したともいえます。歯を治すこと、丈夫に保つことは、一部のブルジョアの特権ではない。
西欧の歯科医学の恩恵を庶民にも。それが、お金がない人にも手を差し伸べた創業者の気骨だったのかもしれません。
3代目も、院長室に座っていられない人。医院をしょっちゅう飛びだして、お役所や
教育委員に訴えてまわったそうです。子どもたちの定期的な歯科検診を公共制度にしよう。家族全員に歯の大切さを啓蒙しよう。
3代目もやはり、いわゆる歯科医師の領域を飛び越えて社会に働きかけていました。社会を想う衛生思想家、啓蒙家の顔を持っていたことが確認できました。
そんなお父さんの姿を見て育った4代目院長。歯科大学院も修了し、米国で最先端の歯学を学んだ経歴を持つ優れた方です。
おもしろい人で、成人の新規の患者をほとんど受け入れていない。大学院~米国を通じてせっかく世界最先端のインプラント技術なども学んだのに、そこにはフォーカスしていないのです。それをやりたい患者さんは、他のクリニックへどうぞ、という姿勢だ。
悪くなったものを削る抜く、人工的に蘇らせる、ということに、「これで本当にいいのか」と疑念を感じたそうだ。治療により本来の歯を失ってしまうという現代の歯科治療のあり方に、根本的に違和感を抱いているのでした。
そしてデンタルの流行りの現象に飛びつくことなく、「予防歯科」という本質を選んだのです。
「虫歯を直すことも価値ある仕事だが、虫歯にならない智恵を人々に提供し、虫歯を失くすことが自分の本分であり、歯科医師の本質だと思う」。4代目はそこに仕事の意義を感じているのだ。
だから、0歳児からの予防歯科を徹底している。世界から最新のメソッドを取り入れ、楽しい映像で親子にレクチャー。親子勉強会も開催している。新規患者としては、大人の受け入れに厳しい制限をもうけ、幼児からの受け入れをなにより優先し地域にアナウンスしているのだ。
4代目のこの選択は、衛生思想家、啓蒙家というキーワードを発見できたいま、家系のDNAを考えれば、僕には必然のように思われました。
いろいろ調べるなかで、「この歯科医院の100年超の歴史には、衛生思想家、啓蒙家の精神が通底している。」そんなキーワードで理解したのです。
健康習慣と衛生社会の啓蒙に邁進したこと。それが、この歯科医院が100年以上つづいたいちばんの理由。そう結論づけました。
いま、人生100年時代、が広く社会通念となりつつあります。100年人生は歯の時代だ、とそんなコンセプトを立てられるのではないか、と思っています。
100年幸せに生きていくためには、100年丈夫な歯が不可欠。100年もつ歯を0歳からめざすといいな。そう思ったからです。
予防歯科は本質であると同時に、長寿の時代特性に合致している。新しい衛生思想を世の中に啓蒙していく。4代目には、そんなリーディング・デンティストになっていただきたいと思っています。
日本でも希少なアイデンティティを持つ歯科医院。この歴史はレガシー。ここを起点に、これからブランディングやインナーコミュニケーションのお手伝いをしていきます。
調べてタイムスリップして見えてくることって、すごく多いんですよね。そこは、50年でも30年でも10年でも同じだと思います。