泉一也の『日本人の取扱説明書』第73回「雑談の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第73回「雑談の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

東南アジアの旅はお氣楽。

日本を発ち、先方の国の空港出口を通った瞬間、肩の荷がすっと降りる。
そこには猛烈な暑さと人混みがあるが、心が軽い。それはなぜなのか。ここ数年通ってやっとわかった。それは、誰も自分を見てない、氣に留めてないのだ。「こいつ客にしたろう」と狙っている人以外は・・

日本人は周りの人を無意識に観察し感じとっている。場の空氣を読みながら生きている。だから「お互い様」の精神が働いて調和する。その絶妙なハーモニーの中に音を外す人、つまり空氣が読めない存在がいたら目立つし、ものすごくストレスになる。だからKYなどとラベルを貼って排除が始まる。

空氣が読めない人は、排除対象になりやすく日本ではすこぶる生きづらい。自分の部屋に引きこもりたくなる。逆に空氣が読めてしまう人も、氣疲れしてしまう。人混みなどもっての外である。だから休みの日は家にこもりたくなる。空氣が読めない人も、空氣を読みすぎる人も、日本にいるとしんどい。だったら外国に出ればいい。

一歩国をでてみると、そこには空氣が読めない仲間たちが大勢いる。そして空氣を読もうとしても、調和の空氣がたいしてないので楽勝である。音痴を誰も気にせず、音痴たちがそれぞれ自由に歌っているのだ。

絶妙なハーモニーの中に溶け込もうとすると、ハイスキルが必要である。だからこそ成長し美しさが生まれるのだが、そこにどうしても合わない人は混沌の世界に身をおけばいい。絶妙なハーモニーに氣疲れしたら、混沌の世界でチャージすればいいのだ。

混沌の世界は、バラバラでぐちゃぐちゃでいい加減であるが、そこには一種の美しさもある。ロジカルな話よりも雑談をしていると頭が冴えてくるように。東南アジアでは、町中そんな雑談で溢れている。雑談大国なのだ。

そうしてみると日本も昔は雑談大国だった。町中、井戸端会議に始まり雑談に溢れていたのに、今はなんともひっそりしている。昭和の職場もタバコの煙もくもくの中、雑談で賑やかだったが、今はクリーンで静かな環境の中、キーボードの音がかちゃかちゃと微かに聞こえてくるぐらい。あの雑談はどこにいったのだろうか。

個々が向き合う対象がパソコンとスマホになってしまい、他者と向き合うことが極端に減った。効率化が大事だと、無駄な会話をしないようにとのお達しの中、ロジカルシンキングの研修をする。そんな日常を過ごしている人たちが会議に集結したらどんな場が生まれるか想像できるだろう。いや想像したくない。もちろん参加もしたくない。

東南アジアの混沌とした空氣の中に、ヒントが隠されていた。あの雑談の感覚。その場を少しでもパソコンとスマホを通して体験できれば、逆転するはずである。その場を作り、提供すれば事業にもなる。場活師はそこが主専(戦)場となる。そこにお役目がある。

ハーモニーと雑談にあふれたそんな国づくりを東南アジアの人たちと共にしていく。これぞ場活流の「発酵一宇」である。

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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