このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「社長室が無いことがそんなにすごいことなのか?」
社長室や立派な社長の机が無い会社がそんなにすごいのか?
社長室が無いどころか、社長の机も一般社員さんと同じで、隣には一般社員さんが座っている!
それに、「社長」とも呼ばれていない!
なんだ、この会社は!すごい会社だ!面白い!
・・・って評されていることがありますが。
これ、思ったんですけど・・・
そもそも仲間と始めたベンチャー企業なんてどこもこんな感じじゃないですか?
社長室も立派な机はもちろん、マジで何も無いところからスタートですからね。
僕らも小さなマンションの一室で始まり、社長室どころか、ミーティング用のテーブルもなかったので、打ち合わせは地べたに座ってやってました・・・
同じ階に入居していたのは、ヤ◯ザのフロント企業なのか、社名だけやたら変わるけど出入りしている人は同じって会社だったりね。
あと、創業メンバーの中には僕の先輩がいたのですが、プライドもあって僕のことを「社長」とは一度も呼べず、そのまま名前を呼び捨てにしていましたからね(苦笑)
でも、全くすごい会社じゃなかったですよw
常時倒産寸前でした(汗)
思うんですが、古くからある業界で、それなりの規模の会社が上記のような取り組みを始めると、珍しくて目立つし、「すごい会社だ!面白い!」って評されるだけなんじゃないでしょうか・・・
創業時からそういうのが当たり前だった僕から言わせると、そんな取り組みに関係なく、先代(両親など)から引き継いだ会社がそもそも素晴らしい会社だったってことだと思うんですが。
隣の芝は青く見えるというのもありますが、ホントに羨ましく思うこともありました。
かく言う僕も社長室に憧れましたけど・・・そんな部屋作ったら、執務室の面積が狭くなりますよねぇ。(←貧乏性)
ちなみに、弊社のオフィスはずっと前からフリーアドレスですから、僕の部屋も無ければ机もありません。
それに、以前働いてくれていた子が、「前職(外資系)では名前で呼び合ってましたよ♪」と教えてくれて、「じゃあ、下の名前か、ニックネームで呼び合おう」となって、弊社では誰も「社長」「会長」のように役職では呼びません。
でも、相変わらず全くすごい会社じゃないですけども・・・
それどころか、移転した結果、固定費爆上がりで倒産危機再びですよ(汗)
やっぱりね、すごい会社は、社長室とかニックネームとかそんなの全く関係無く、すごい会社なんですよ。
「よし!うちも社長室を無しにする!」って張り切って、一般社員さんの隣に突然座り始めたら、気持ち悪がられますよ。
「社長と呼ぶのは止めて、◯◯さんって呼んでくれ!」とかってね。
「おいおい、また、何かに感化されてやり始めたよ・・・」って、間違いなく思われますよね(苦笑)
既にすごい会社なんだから、大人しく社長室に籠もって、後は社員さんたちに任せておけば良いんです。
ちなみにフリーアドレスにした結果、僕の周囲には誰も座ってくれません。
どうしても席が空いていなくて、そこしか座る場所がないから、仕方なく座る、そんな感じです。
どうですか?これでも社長室を無くしますか?(笑)
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。