その257「パリ、シャンゼリゼ通りで思ったこと」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「パリ、シャンゼリゼ通りで思ったこと」

 

パリを訪問していた期間中、バスティーユ・デーのパレードを見ることができました。
軍、警察、消防によって、交通規制が行われ、シャンゼリゼ通りで大規模な軍事パレード、航空ショー、式典が行われるというものです。
どこへ行くにも交通規制で、Googleマップが役に立ちません。
それほどの規模で行われるイベントでした。
屈強な軍関、警察関係者が警備する中、騎兵隊や戦車を含む軍車両がシャンゼリゼ通りを行進していきます。

それを見ながら、フト、思いました。

なんでここに環境活動家が現れないんだろう?と。

有名な芸術作品や建物にペンキぶっかけたり、道路に座り込んだり。
かつてルーヴル美術館のモナ・リザにケーキを投げつけた人がいましたし、座り込みや横断幕を掲げられたこともあったとか。
ルーヴル美術館は、度々、環境活動家の抗議の舞台として選ばれることがあるようですね。

それなら、このパレードって最高ですよね。
マスメディアはもちろん、SNSでの拡散も爆発的ですよ。

でも、大きな銃を構えた軍関係者や警察関係者が目の前に居る中、戦車が進むシャンゼリゼ通りにペンキ缶を持って走り込んだらどうなるか?
きっとどんな馬鹿な人にでもわかるでしょう。
数秒以内に地面に伏せさせられることでしょうね。
大統領や外国要人も参加しているイベントですから、テロリスト認定もあり得ます。
そうなれば活動家に対する市民の反感も買うでしょうし、それでは運動の支持基盤が崩れてしまいます。
彼ら活動家は「目立つけど、怒られすぎない場所」を選んでいるのかもしれません。

2年程前、道路封鎖していた活動家が銃撃される映像がSNSで拡散されましたよね。
「さすがにやりすぎだよな…」と思った人もいれば、「いや、自業自得だろ」と感じた人もいたかもしれません。
思ったんですが、心臓移植を待つ家族がいて、それを届ける車が、活動家の座り込みで足止めされたら?
排除しませんか?物理的に。全力で。

でも彼ら活動家にしてみれば、あれも「戦略」なんでしょう。
社会に迷惑をかけることで、社会の関心を引く・・・という。
言葉にするとかなり幼稚ですよね。
他に方法がありそうなもんですが・・・

僕はパレードに飛び込む活動家を待って!?、最初から最後まで現地でしっかりと見届けていましたが、ついに出てきませんでした。
ちょっと見てみたかったんですけどね。

パレード当日の観客動員数は数百万と言われているようですが、その中で、こんなことを考えていたのは僕だけでしょうね。
ちなみ、パレードで一番歓声が上がっていたのは、消防の車両が出てきたときでしたよ。

 


 

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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