その頃、ボクはまだ
ひとりの少年の夢のなかにいた。
いまから百年前の1917年、
静岡県浜松市和知山練兵場で開催された
アート・ロイ・スミス氏による飛行ショー。
横転、宙返り、急降下。
白い尾を引きながら
アクロバット飛行を繰り返すその姿は、
会場に来ていた10歳の少年の目を
くぎ付けにし、瞳の奥で夢となった。
少年はやがてエンジニアとなり、
自ら町工場を立ち上げ、
二輪車をつくり、
四輪車を世に送り出した。
少年の名は、
世界中に知られるようになり、
町工場は世界的メーカーとなった。
しかし、それでも空への夢が
消えることはなかった。
1986年、
初めて飛行機を見てから70年目のこと。
夢はようやくかたちをとりはじめる。
研究所の片すみで、ひっそりと。
飛行機づくりは、
資金も、技術も、人材も、
文字通りゼロから始まった。
そこからの30年は、
まさに茨の道だった。
業界からは無視された。
「自動車屋に何ができる」
少し評判が上がると
「アメリカでは通用しないよ」
航空機の製造認定が近づくと
「取れっこないよ」と云われた。
いざ取れそうになると
今度は「絶対に取れない」と
顧客の不安をあおる。
認定を取ったら取ったで
「それでも安心できない」と吹聴された。
カテゴリナンバーワンになったいま、
性能では勝てないとわかっている彼らは
インテリアや内装を近づけ、
コックピットを真似、
最近ではウェブサイトまで似せてきている。
好きにすればいいさ。
ボクはボクの道を行く。
機体は上昇を続け、
眼下の景色はあっという間に小さくなる。
設計士がサルバトーレ・フェラガモの
ハイヒールからヒントを得たという
独特のドルフィンノーズが雲を突き抜ける。
主翼の上に独創的に配置された
ターボファンエンジンが
気持ち良さそうに回転を加速させる。
言いようのない快感が全身を駆け巡る。
最高だ。
ボクは少年に向かって語り掛ける。
ソウイチロウ。
ここは、本当に最高の場所だよ。
ボクの名前は、ホンダジェット。
やがて世界中の空が、
ボクの庭になるだろう。
画像引用元:「本田宗一郎 世界一速い車をつくった男 (小学館版学習まんが人物館)」
1996年6月14日発売
https://www.shogakukan.co.jp/books/09270109