「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
29通目/安田からの返信
「私の輪郭が知りたい」
私はどんな人間なのか。これ、とても大事だと思います。多くの人は「私ではない誰か」になろうとしたり、「私ではない誰か」と比較して苦しんでいるように見えます。本当の私にたどり着くためには「解釈」という先入観を捨てることが大事ということでしょうか。事実に着目することが「私の可能性を最大化すること」であるのなら、大野さんの主張は私の考えとズレていないと思います。制御可能と不可能の区別がつけば「私がどんな人間か」が浮かび上がる。これは面白いアプローチですね。本当に制御不可能なことと、制御不可能だと思い込んでいるだけで制御可能なこと。この境目を辿れば「私の輪郭」が浮かび上がってくるような気がします。
前回28通目/大野「どんな人間なのか?が結局問われているのでは?」
ズレてないとしましょ。でもツマラナイから取り組む価値がないのとは違う。又、安田さんの言う頑張らないという選択肢も一切否定しません。もっといえば、歌手を本気で目指す当人からすれば、頑張るとか努力するなんて感覚そのものがないのかもしれません。あと、コーチの答えが努力と言われていますが、それも違います。注意深く読み返してください。事実を扱う方が健全だと申し上げているだけ。練習時間がゼロだから歌が下手であるとも言ってない。そもそも歌が下手は解釈。ある歌を歌った時、ある一小節のミの音が半音低い。この記述が事実の例です。
次回、制御可能を極めた先と微差が大差をもたらす真の意味をガイドしたい。
とにかく、大統領になりたいとか歌手になりたとかスポーツ選手になりたいとかは、それ以前に、どんな人間なのか?が結局問われているのでは?
ー大野より
前々回27通目/安田「ズレてはいません」
ズレていると感じるのは、大野さんが持っていきたい方向とは違うからです。大野さんから見たらズレている。でも私から見たらズレていません。「歌が大好き。歌手になりたい。でも私は歌が下手だ!という解釈がある。さて、どうする?」この答えが名コーチのおっしゃる「努力」なのだとしたら、やっぱりそれはツマラナイです。確かにそれはひとつの答えではあるし、努力によって人生が変わることもあるでしょう。でもそれはすべてではない。「そこでは頑張らない」「その努力をしない」という選択肢もあるのではないか。そして、それこそが多くの人に新たな希望をもたらすのではないか。私は自らの体験からそう思わずにはいられないのです。
ー安田佳生より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
http://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/