「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
95通目/安田からの返信
「根こそぎ引っ越しできるのか?」
なるほど。思考の住まいは引越しすることが可能だと。これは面白い考察ですね。確かに私は人生の中で大きく価値観が変わりました。性格も変わったと思います。私は物心ついた時にはすでに性格の悪い人間だったのです。迷子など他人の不幸は心から喜んでいましたし、学校でも嘘ばかりついていました。でもさすがにそこまで性格が悪いと生きにくい。それで仕方なくいい人を演じ続けたわけです。とくに社長になってからは責任感と人間性を演じ続けてきました。そして気がついた時にはちょっといいやつになっていたのです。そう考えると思考の住まいは変わるのかもしれません。でもどこかで「根っこは変わってない」という気もするんですよね。
前回94通目/大野「希望という住まいの人は恐怖が生まれても、希望へと帰って行く。」
僕は日頃の思考習慣がその人の思考の住まいを決定してしまうと思っています。住まいは引っ越せば変えられます。例えば、怒りという住まいに住んでいる人も喜びという住まいに暮らしている人も、人間なのである刺激さえあれば、その刺激対象に対しての怒りが生まれたりします。問題は帰る場所です。つまり住まい。この住まいによって人生が分岐します。希望という住まいの人は恐怖が生まれても、希望へと帰って行く。ところが、極端にいうと住まいが恐怖の人は来る日も来る日も恐怖に怯えている。恐怖に支配され続ける。カラダが一週間や二週間で見違えるように進化することが無いように、思考習慣も一日、いちにちだと思うんです。
ー大野より
前々回93通目/安田「恐怖を脱する方法」
肉体があることは、恐怖があることとイコールなのでしょう。生きているから先のことを考えるのであり、先のことを考えるから不安になる。それは仕方のないことだと思います。私たちはひとり残らず恐怖エリアの住人である。そこを認めないことには先に進めないのではないでしょうか。殴られたら痛い。刺されたら死ぬかもしれない。会社をやめたら居場所がなくなる。お金がなかったら生きていけない。スタート地点はみな同じなのです。ではどうやったらその恐怖エリアから脱出することができるのか。少なくともその答えは根性や気合いではない。私はそう思っています。気合いや根性を口にする人は恐怖に縛られている人だから。
ー安田佳生より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto. com
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/