「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
105通目/安田からの返信
「元に戻ってしまいそうですが」
愚かさの中にも愚かでない部分はある。堕落の中にも努力できる自分はいる。大野さんはその考えが好きですよね。多くの人はポジティブな助言を好みます。私にも可能性はあるんだ。私だって努力すれば何とかなるんだ。そう信じたい。でも信じきれない。だから誰かに後押ししてほしい。でもそれって解決につながるんでしょうか。短期的には勇気が出て心が楽になるかもしれない。でも現実はちっとも変わっていない。それは現実から目を背けているからです。私はぐうたらである。私には才能がない。まずそれを認めたほうがいい。“私にだってできる”ではなく“私には無理”だと認める。認めることによって新たな私がスタートするのです。
前回104目/大野「そうでない時を除いては」
人間は愚かである。確かにそうなんでしょう。そうでない時を除いては。そして、もしかしたらその愚かさの中にこそ、発掘すべき能力やリソースが眠っている。なかなかやろう思っている事ができない。やっても長続きしない。それが人間。そうでない時を覗いては。観点を変えれば、やろうと思っていない事ができる!って凄いし、長続きしない状態を長きに渡って続けられる能力は元々備わっているともいえる。風によって船の行き先が変わっていくというより、帆の張り方なのではないか?という真理が僕には見えてくる。できなかったという結果より、やろうとした事そのものの中に大いなる何か、誰もが持つ人間の中の良心という種がある気がします。
ー大野より
前々回103通目/安田「残念ながら・・・」
想像力の欠如であり、思いやりの欠如でもありますね。自分さえよければいいというのは短期的な「得」ではありますが、長期で見れば「損」。まあ損得で考えること自体がよくないとも言えるんですけど。でも人間というのは大野さんが思ってらっしゃるほど“できがよくない”と私は思っています。選挙に行かないのも、自粛しないのも、他人に自粛を強要するのも、すべて人間の愚かさから出ているものだと。つまり人間は愚かである。この原点に立ち返らない限り胸を痛める事件はなくならない。では愚かな人間に想像力と思いやりを持たせるにはどうしたらいいか。やはり損得に訴えかけるしかない。残念ながらそれが現時点での私の答えですね。
ー安田佳生より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto. com
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/