「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
140通目/大野からの返信
「ミツバチがもたらす経済効果は66兆円?」
その通りですね。役割について考える時、実は僕が直ぐに思い出すのがミツバチです。ミツバチは自分達の為にせっせと蜜を集めていますが、世界の9割を占める100種類の作物種のうち、7割はハチが受粉を媒介していて、世界の作物の3分の1を受粉していると言われています。その経済効果は66兆円。そして、この話に触れるともう一つ思い出すのがシステムです。例えば安心安全な水を世界に。そんな問題に切実なまでに遭遇したら、取り組みとしては煮沸、濾過、浄水器等々というものから水道管…その先の生態系、環境問題へと社会システムまで広げて取り組むことが可能です。何れにせよ役割は、大きく二つの果たし方があるように思うわけです。
前回139通目/安田「人間という生物の中の一部品」
ひとりで何もできないとのご意見には賛成です。というか、もはや人間は、人間という大きなひとつの生物ではないかとさえ思います。ひとりになってしまったら人間ほど弱い動物はありません。野垂れ死にすることは確かです。人間はそもそも分業の動物であり、それがうまく組み合わさって機能しているからこそ、他を圧倒する生物となれるのでしょう。アリやハチも組織で生きていますが、人間組織の複雑さとは比べものになりません。そう考えるとやはり、人間には生まれ持った役割があるのだと思います。親指の細胞が親指の細胞の役割を全うするからこそ、人体は維持できる。人はひとりひとり違う役割を持っているのです。
ー安田佳生より
前々回138通目/大野「一人じゃ何も成し得ちゃいない」
啐啄の機という言葉があります。辞書によれば、啐とは雛が孵化しようと殻の内側からつつく音のこと。啄とは、母鳥がそれを外からコツコツとつつく音のこと。この両者のタイミングが一致していることが重要で、親鳥のサポートが早すぎても、遅過ぎても、雛は死んでしまうと。しかし、そのタイミングは雛のかえりたいという意思から始まる。時に、人も一人では決して殻を破れないのかもしれません。ふと、「最上のわざ」という詩を思い出しました。一部を紹介すると、(略)弱って、もはや人のために役に立たずとも、親切で柔和であること。老いの荷物は神の賜物(略)本当は全部を紹介したいほど。何れにせよ、一人じゃ何も成し得ちゃいない。
ー大野より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/