その122 とてもいそがしい

サラリーマンが週40時間労働するのをスタンダードとするのは、
単に「普通の一日」を1日8時間として、それが週5で、という
きわめて慣習的なかけ算なのだと思います。
そもそも、一年というモノサシには公転周期という世界の法則がありますが、
月や週についてはかなり人間の都合で決められただけという気もしますし。

ともあれ、週40時間をベースとすれば、
個人的に月100時間をこえる残業をひさびさに行っている今日このごろです。

弊社の主要方針のひとつとして、
イマドキのホワイトな会社のようにありたい、というポリシーがあるため、
業務を問わずたいていの人は毎日夕方になると粛々と帰宅していく中、
月100時間残業というと「とても忙しいひと」扱いです。

わたくしも、こういうの何年ぶりだろう、と具体的に思い出せないくらいなのですが、
昔に同じような状況であったときの心境は思い出しました。

「あのとき、全然いそがしい気分じゃなかったんだよな。今回もそうだな」

と申しますのも、わたくしが携わっている業務の場合、
業務に必要な「質」は正直大したことがなく、
その代わり物量がちょっとばかり多く、黙々とこなし続けることだけが対処法であり、
そうであるなら夜はできるだけ残る、週末もできれば出る、と最初に線を引いて
たっぷりと時間的「量」を確保したうえで
むしろスローペースで取り組まざるをえないからです。

おじさんが徹夜しようとしても、現状に輪をかけて役に立たなくなりますからね。

ですので、タイムカード的な意味では「いそがしい」はずなのに
実態は一週間のほとんどの時間をゆったりマイペースに業務している、
ということになるわけであります。

なぜマイペースでも成立するかといえば、
先に申し上げたように仕事としての「質」が重要でないからです。
もしも「質」が第一条件であれば、それをクリアしなければならないという
プレッシャーが発生し、精神的にも追い込まれることになりますが、
タスクが「量」であれば管理も比較的容易ですし、
「できていることはできているし、できていないことはこれからやる」
と自分が割り切っていればいいので、気楽なものです。

ただ、この業務、「仕事としての価値」はほとんどありません。
中高年の身でいうのもアレですが、自身の成長にもあんまりつながりませんし、
たとえれば、「まず地面に穴を掘って、それから元通りに埋める仕事」でしかありません。

しかし、忙しさ=残業時間 と解釈している周囲の方は
そんなわたくしに対して
「今は忙しくて大変だろうけど、体に気をつけてがんばりなさい」
と声をかけてくれるのです。
内心、いそがしくはないんだけどなあ……と、思う次第です。

ただ、根本的にテキトーにやっているので
自分でもいつ終わるのかは、正直よくわかっていません。
 

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

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